エッセイ事始め 自分史をかねて

先日エッセイを書き始めた
エッセイというか散文というか
読者自分に限定で思いついたことをつらつらと

いつ見たのかも覚えていないけど、田村正和さんが「そうか、もう君はいないのか」つぶやくシーンが頭によぎることがあった
あまりエッセイというものを読んだことがなかったけど、なんとなく原作(※1)を買って数ヶ月積んであった
先日読んで、こういうのを書き残しておくのも悪くないな、と思った

何年も前から、書きたいことはいっぱあった
動物倫理の話とか芸術の話とかどうでもいい哲学の話とか思いついたこといろいろ
でもちゃんと書かないとという固定観念があって全然筆が進まない

人生の折り返し地点を過ぎて自分史にも興味があった
ちょっとググると専門の業者さんとかまであるコンテンツ
歳を取ると自分の半生記を振り返りたくなる人は一定数いるらしい
でもやっぱり筆が重い

仕事で文章を書くこともあったし、記事を書いたり、法律文章とかも書いた
机には『記者ハンドブック』『てにをは辞典』『日本語の正しい表記と用語の辞典』が常にある
パソコンには広辞苑が入っている
伝えたいことを誤解されずに伝える文章
考えなくても言いたいことが入ってくる文章
それくらい、文章とは真面目に付き合ってきた
でもだからこそ、筆が重くなる

そんなとき、妻が図書館で借りてきた本をなんとなく読んだ
お笑い芸人アンガールズ田中さんのエッセイ(※2)
さくっと読めた
「あー、これでいいのか」
ハードルが全部倒れた気がした


書き始めてみると、今書いているこの文章みたいに
SNSに投稿するような、改行だらけの短文ができた
まったく知らない人が読んでも意味がわからない
人に説明したり、伝える努力、読ませる工夫がない
この文体と、もっとちゃんとした文章にした文体
両方をコピペして、AIたちに聞いてみた
「どっちがいい?」って
読者が自分や家族だけでいいならA(この文体)
読者を広げたいならB(ちゃんとした文章)
ちょっと悩んだけど、クロードちゃんのひと言

「読まれること」を意識しすぎて疲れませんか?

がとってもしっくり
とりあえずこの文体でいこう
読者を想定しない文章は初めてかもしれない

書き始めると、あれも書きたい、これも書きたい、があふれてくる
多くは自分の人生の経験やエピソード
動物倫理のこととか、小難しいことも書くかもしれないけど、こんな文体で書けるのだろうか


※1城山三郎『そうか、もう君はいないのか』新潮文庫、2010
※2 田中卓志『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』新潮社、2023

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