恋多き乙女

バレンタインデー。
それは、陰キャ・コミュ障・人見知り・非モテには無縁のイベントだ。
もちろん、僕も例外ではない。
でも一度だけ、奇跡が起きたのだ。
あれは、僕が小学五年生のときだった。


僕は、未舗装の砂利道が続く集落の、ボロ屋に住んでいた。
たしか学校はお休みの日。
あの頃は土曜も学校があったから、日曜日だったのかな。
妹から「誰か来てる」と声がかかる。

僕に誰かが来る事なんてない。
友人は近所の子しかいないし、その子ならみんなも知ってるから「誰か」とは言わない。というか勝手に入ってくる。
2階の窓から覗くと、女子がいた。

誰?
疑問に思いながらも、降りて玄関へ。
そこには、ひとりの少女が立っていた。
「これ」
手のひらサイズくらいの、大きなハート型のチョコだった。
明らかに手作りだ。
「あとこれ、〇〇(兄の名前)に」
同じモノが、もうひとつ。

「あとね、△△君にもあげるの」
同じモノが、もうひとつ。
△△君は、先ほど「近所の子しかいない」と言った友人。
彼も同い年のクラスメイトで、徒歩3分のところに住んでいた。


この恋多き乙女さんが、クラスメイトだったのかどうかも覚えていない。
なぜ兄を知っていたのかも覚えていない。
おそらく、これ以前にもなにがしかの交流はあったのだろう。
だけど僕の記憶では、この時いきなり現れたことになっている。
僕の記憶にひとつだけ、夢か現実だったのかすら定かではない、いつだったか、誰だったかも覚えていない、女子も男子も10人くらいで遊んだ記憶がある。あのときにいらっしゃった?

このとき、この恋多き乙女さんに何を言われたのかは、あまり覚えていない。
「3人とも好き」だったような、違うような。
上に書いたセリフは間違いなく間違いだ。
実際には確か、もっと矢継ぎ早に、マシンガンのように言葉が飛び出していた。
でも残念ながら覚えていないし、僕には五月雨のような言葉を再現する能力がない。

そのときの僕は、ぼーっと突っ立っていた。
ひょろ長い僕は、基本ぼーっと突っ立っている。

知らない人や大人の人が来ると、誰かの後ろに隠れる。
そして、小学5年生の僕は恋愛のレの字も知らないし興味もない。
「なんかでかいチョコもらったー」
と思っていた。
好きってなに?
とも、
3人っておかしいだろ
とも、思わなかった。
その場では、ただチョコをもらったという事実のみ。
つまり、僕はなんのリアクションもしなかった。
そのときだけではなく、その後もずっと。
最低なやつだ。

恋多き乙女さんはきっと、「受け取ってくれるかな、3人とも」とドキドキしながら、お母さんや友人とチョコを溶かして形に入れたのだろう。
そして、不安な気持ちでいっぱいになりながら、我が家への道を歩き、勇気を振り絞ってピンポンを押したのだろう。
たぶん。


ある日、遠足の写真が教室の壁に張り出された。
当時は、遠足とかなにがしかの行事があると、学校が雇ったカメラマンなのか、素人の先生なのか、誰かがとった写真を貼りだし、欲しい人はその番号を紙に記入し、後日代金と引き換えに写真をもらう、という文化があった。
自分の写真に興味がないというか嫌いだった僕は、その掲示板の前をスルーして通り過ぎようとした。
そのとき、恋多き乙女さんが、その友人に、ある写真を指さして言っている現場に遭遇してしまった。
「かっこいい」
「どこが! あっ……」
眼が合ってしまった。
僕は即座に目をそらし、何事もなかったように、いつものとおりぼーっとした顔で、通り過ぎた。
恋多き乙女さんに、本人がいない(はずの)ところで、かっこいいと言われたことよりも、その友人に即座に否定されたことよりも、その友人の、「やっちまった!」っという顔の方が、記憶に残った瞬間だった。

当時僕はまだ、「話しかけるなオーラ」は身につけていなかったけど、常にぼーっとしていて、何を考えているのかわからない、アンタッチャブルな「こいつ大丈夫かオーラ」をまとっていたはずだ。
それなのに、恋多き乙女さんは何も気にせず話しかけてくる。
少しだけでも交流がある、唯一の女子になった。


そして、そのまま僕たちは中学生になった。
恋愛のレの字ぐらいなら少しだけ見えてきた僕に、恋多き乙女さんは言った。
「城田君めっちゃかっこいい」
中学校になると、隣の小学校の子どもたちが合流するため、新しいメンバーが増えるのだ。
その彼は、僕のようなひょろではない長身で、スポーツが上手そうなイケメンで、ちょっとクールな感じ。
今度は非モテではなく、正統派モテ男に恋をしたようだ。
ほんの少しだけ、僕の心は寂しさを覚えた。
と同時に、心が少し軽くなった。
返事も何もしなかったくせに、その子が他の人を好きになると勝手に傷つく。
しかも、返事も何もをしていないことに、罪悪感を感じていた。
どうしようもないやつだ。
それからしばらくして、恋多き乙女さんは、親の都合でどこかに転校。
僕の心にささやかだけど確かな風を吹かせ、春風に吹かれる桜のように去って行った。
チョコは美味しかったです。


それからおよそ30年後、ATフィールド(話しかけるなオーラ)を実装した僕に、まったく気にせず突貫してきた妻のように、当時の僕の「こいつ大丈夫かオーラ」を突破してきた恋多き乙女。
あの後もいろいろなところで恋をして、多くの男子の記憶に刻まれてきたことだろう。
君に、幸多からんことを。

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