夢幻のごとくなり ー 自分史とぼとぼと50年

このエッセイブログは、自分史も兼ねている。
僕が生まれてから、今年で50年。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」
信長でおなじみのこのフレーズ。
現世の50年なんて、天界では1日と同じ短い期間。
人間の一生なんて、一夜の夢幻と同じで、はかないよね、って意味らしい。
ほんとにそう。
あっという間に50年経ってしまった。
つい昨日まで、小学生だったのに。

孔子は、40で不惑、50で知命、と言ったそうな。
50間近でも惑いまくってるし、天が自分に与えた使命を知る50って、そんなの一切思い当たらない。


趣味でエッセイを書き始めて、自分の過去を振り返ることが多くなった。
いろいろな記憶が思い出され、「老人は今ではなく思い出の中に生きている」ということが、まだ老人ではないつもりだけど、とっても身に沁みてわかる。
もう、未来よりも、過去の方が長いのだ。

というわけで、自分史を書く自分用に、年表を書いてみた。
抜け漏れが多いけど。

自分用自分史年表

これを見ながら、簡単に自分の歴史を振り返ってみよう。

僕の50年を簡単な時代区分で区切ると、次のようになる。

  • 子ども時代(〜15歳)
  • 若者時代(〜26歳) (「虚勢と迷走」時代)
  • 心の時代(〜31歳) (「心と放浪」時代)
  • 東京時代(〜42歳) (「街と虚構」時代)
  • 家族の時代(〜現在) (「家と庭と家族」時代)

※括弧内の時代名は、厨二的すぎたので恥ずかしくてやめたやつ

それぞれ簡単にまとめてみよう。


子ども時代(〜15歳くらい)

文字通り、生まれてから中学生くらいまで。
僕は、8人「きょうだい」の真ん中、5人目として生まれた。

※「兄弟」で女性も含む兄弟姉妹を意味するけど、男だけも同じ「兄弟」という。近年では前者の意味で「きょうだい」と書くことが増えてきているらしい。知らなかった。

出生地は広島県。
僕が生まれた場所は、原爆が投下された場所の、山ひとつ超えた先だったらしい。
生まれたのが夏だったこともあり、子ども時代の僕は「ヒロシマ」や「戦争」といったことに、少し親近感といったらおかしいけど、縁を感じていた。
小学校の卒業文集の将来の夢みたいなとこに、実につまらないことに、「世界中から核兵器を無くす」みたいなことを書いたような記憶がある。
卒業文集に書くことじゃないだろ…

広島のことはまったく覚えていない。
赤ん坊のときに引っ越したからね。
引っ越した先は北海道。
でもここも、まったく覚えていない。
僕の最初の記憶は、たぶん台湾だ。
幼少期に台湾に2回ほど行ったのをおぼろげに覚えていて、うち1回は数ヶ月住んでいた。
少しだけ、小学校にも通っていた。
台湾では、初めての喪失体験。
愛犬との別れを経験し、東京都月島へお引っ越し。
今のようなビルもなく、狭い路地に密集した集落だったのを覚えている。
月島ではちょっとだけ、幼稚園と小学校に通った覚えがある。
あれ、計算が合わない。
小学校にいったあとに幼稚園?また小学校?
ずっと謎だったけど、今ちょっと調べて、やっとわかった。
なんと台湾は、9月から新学年が始まるのだ。日本の1年前の。
台湾で6歳の9月から数ヶ月だけ小学校→月島で幼稚園から小学校入学
こうだったのか。
だから僕は、台湾と日本で二度、新入学をしたのだった。
月島の小学校はほとんど行かず、すぐ埼玉へ引っ越した。


と、「簡単に」と書いたのに、これでは文庫本一冊くらいになってしまう。
巻いていこう。


僕は埼玉の某市で中2まで過ごし、同じ埼玉県内でお引っ越し。
だから、出身地を書くとしたら「埼玉県」となるのかな。

子ども時代の僕は、今と変わらず無口だった。
ひょろ長く、ぼーっと突っ立っている。
人見知りで、他人がいると誰かの陰に隠れる。
運動が苦手で、図鑑や本を読むのが好き。
江戸川乱歩やホームズなど、推理小説が好きだった。
あと『指輪物語』。『ロード・オブ・ザ・リング』の原作だ。
ゲームは「ドラクエ3」にはまったぐらいだけど、長兄の影響で「ウィザードリィ」とか、ファンタジーものも好きだった。
勉強は好きでも嫌いでもない。
遊び相手はもっぱらきょうだいと、近所の子2人と、新たな愛犬。
日曜にはプロテスタントの教会学校へ。
父親の記憶はほとんどない。
母は女手一つで僕たちを育て、もちろん貧困家庭だった。

中2で引っ越しとかちょっとゴタゴタしたことを経験し、ちょっと不登校に。
父、兄、愛犬との別れ。
中3で学校に友達が何人かできて、悪い友達と付き合い始めるきっかけともなる。


若者時代(〜26歳くらい)

16歳の僕は悪い奴らとつるむことが多くなった。
そして最終的には窃盗で捕まり、警察と家庭裁判所のお世話に。
捕まったおかげもあって悪い付き合いは少なくなり、同じ頃高校を卒業。
姉や兄は、定時制の高校か専門学校に進学して、普通の高校にはいかなかった。
みんなのおかげで、僕は普通の高校生活を送ることができた。

高校・ラーメン屋のバイト・バイク、これがこのときの主な活動内容。
そしてバイクにはまっていた僕は、高校卒業後大きめのバイク屋で整備士として働き始める。
2年と少し働いただけで辞めてしまい、ここから長いフリーター生活が始まる。
主なバイト内容は、警備員・居酒屋・期間工・ガソスタなど。
そして少しずつ、心が壊れはじめる。


心の時代(〜31歳くらい)

心を病み始めた僕は、その副反応なのか、感受性がとても豊かになった。
それまでは「自分には感情がないのだろうか」と思うほど、何を見ても何も感じなかったのに、何を見ても聞いても、感動し、涙が出てくるようになる。
そんなとき、たまたま行った京都にはまり、京都・奈良をはじめ、日本中の寺社仏閣やお城、庭園、景勝地を巡る。
自然な流れで、仏像・建築・庭園・彫刻・陶芸・絵画などが好きになり、日本美術だけじゃなく、西洋絵画も見に行くようになる。
愛犬との別れも経験。
うつ病がピークを迎えるも、なんとか生き延びる。
仕事は相変わらずプラプラとして、飲食やトラックの運転手、タクシーの運転手、パソコンの簡単な作業など。
失業保険の受給や職業訓練にも行き、長く続く職となるWEB制作にも触れる。
そして、東京に住むことになる。


東京時代(〜42歳くらい)

まず、杉並区のぼろアパートで暮らし始めた。
仕事はパソコン関係のバイトからはじめ、途中で一念発起して正社員になるもブラック企業で敗退。派遣・契約社員を経て、WEB制作のフリーランスとなる。
ありがたいことに、フリーランスの仕事は安定し今に至る。
杉並の次は初台に住み、最終的には港区へ。
途中で通信制の大学に入学し、勉強と仕事の毎日となる。


家族の時代(〜現在)

結婚しようとかしたいとか、一度も寸毫も考えたことがない僕が、仕事で知り合った妻と出会い、なぜか結婚。
神奈川の僻地に大きな庭のある古民家を買って、妻が連れてきた猫たちや、保護した犬や猫たちと暮らす。
多くのつらい別れを経験しながらも、穏やかな毎日を過ごしている。


そして…

僕の人生を概観すると、こんな感じだ。
ずっとひとりで、適当に野たれ死ねばいいやと思っていたのに、なぜか今は家族がいっぱいいて、みんなを見送るまでは死ねなくなった。
ここ一年くらいはとくに年齢による衰えや不調を感じていて、それでもみんなより長く生きるために、健康にも気をつかうようになった。
妻は特に長命家系だから、僕はそうとう頑張らないといかん。
夫が無口すぎてコミュ障すぎて、この先どうしよう、と妻が本気で悩んでいたのも知っている。
普段は小難しい本を読むか、たまに美術館に行くくらいしかせず、趣味という趣味もなく、友達もおらず引きこもっている僕に、妻は趣味をみつければ、と言っていた。
歌が好きな僕に「合唱団入れば」とか、「10000人の第九やってみなよ」とか。
「陶芸釜買ってもいいよ」とか。
ビリヤード台を調べてくれて、「高いねー」とか。
「京都や奈良にひとり旅に行ってきていいんだよ」、とか。


そんなとき、たまたまエッセイをはじめた。
まだ1ヶ月も経たない。
だけど、これがなかなか面白い。
コミュ障の心の中は、どうやら一般人には「あるある」じゃないらしい。
あまり会話が得意ではない僕は、文章にすることで、少しは妻との会話の代わりに、とも思っている。

「僕は、宇宙人だ。地球人の普通が、わからない。」

これは、『テミスの不確かな法廷』※で、松山ケンイチさんが演じる発達障害に悩む主人公のセリフだ。
ここまで極端ではないけれど、僕も普通の人とはなにか違う、と思いながら生きてきた。
生きるだけで勝手に傷つきながら、まわりの助けで生きてきた。
妻はたぶん90歳代まで生きるから、年上の僕は100歳までは生きないといけない。

あと50年。

何が起きるかはわからないけれど、長いようで、あっという間に過ぎるだろう。
このまま穏やかに、みんなを見送って、天国で再会できるのを楽しみにしながら、思い出の中と現実に、生きていこう。
みんなが眠る、この家と、このお庭で。
そして、僕はまたひとりになって、ロッキングチェアでゆらゆら揺れながら、こうつぶやくんだ。
「そうか、もう君たちはいないのか」
って。
あのしゃべり方の、真似をしてさ。
再会までの、つかのまのひとり時間を、かみしめながら。


※NHKドラマ10『テミスの不確かな法廷』 (原作:直島翔『テミスの不確かな法廷』KADOKAWA、2025)

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