“あ” だけじゃ、ダメですか
口に出して声を発する。
自分の考えや感情を、声に出して言う。
会話する。
これは、人間にとってとっても重要な能力であり、他者とのコミュニケーションの中核となる技術だ。
そう、「技術」なので、才能があるひともいれば、ないひともいる。
得意不得意もあるし、鍛えることもできる。
普通の人は、生まれてから成長し生きていくなかで、自然とトレーニングをおこなっている。
誰かとしゃべる、会話する。
それ自体がとても訓練になる。
コミュ障は、子どものころからそのトレーニングを積んでいないのだ。
それでも頑張ってトレーニングを積んだコミュ障はいっぱいいるし、例えば、芸人になる人たちや営業マンとかは、必死にトレーニングを積んでいる。
僕はもちろん、圧倒的に苦手だ。
苦手なのを知っているのに、今まで鍛えようとしてこなかった。
鍛えてこなかった。
だから、普通の人が考えるよりもずっとずっと、言葉にして声で話すということに、とてもとてもエネルギーが必要なのだ。
よく、オフィスで隣に座っているのに口じゃなくてチャットで話しかけてくる、ってエンジニア系の人とかが揶揄されることがあるけど、話すよりも書く方が、ずっと簡単なのだ。
僕はATフィールド(話しかけるなオーラ)を実装しているけど、同じように、喉から口の前までのあたりに、見えない分厚い膜があるのだ。
この膜を突破しないと、声が出てこない。
ちょっと話そうと思っても、この膜にひっかかって、すぐに引っ込んでしまう。
膜というよりも、見えないスライムがいる、と言った方が正しい感覚かもしれない。
このスライムは、呼吸や、食べたり飲んだりはまったく邪魔しないのに、声、とくに何か意味のある音声を発しようとするときだけ、その言葉を溶かして食べてしまうのだ。
「話す」という、普通の人にとって呼吸をするように当たり前の行為が、僕にはとても難しい。
だから、いざ話したときも、発話量がとっても短いことが多い。
一文節ならまだまし、熟語だけ、ひどいときは単語だけが、口から出てくる。
僕だけかもしれないし、他のコミュ障のみなさまも同じなのかもしれない。
頭の中にある言葉は、たぶん普通の人とあまり変わらない。
それが、外に出てくるときにスライムに溶かされ、まったく出てこなくなるか、最小限の溶け残った部分だけが出てくるのだ。
僕が高校生1年生のとき仲良くなった料理人君という友達がいた。
僕は、彼にたまに言われることがあった。
「お前は “あ” しか言わないな」
当時の僕は、「あ」だけで様々な意味を表現していた。
「あ!」
「あ!?」
「あ?」
「あ〜」
「あー」
「あ⤵」
「あ⤴」
「あ”?」
「あっ」
「あ♪」
例えばこんなだ。
「何食う?」
「あー…」
「来来軒行くか」
「あ⤵」
「いいだろ、ラーメン食おうぜ」
「あぁ」
「お前の奢りでいいよな」
「あ”!?」
「冗談だよ」
「あ〜」
「あ」だけで会話は成立するのだ。
我が家の猫だって、「まーうー」だけで、実に多彩な感情と意思を伝えてくる。
「ま”ーう”ー!」
「まう〜」
「ままうー♪」
人間だって、「あ」だけでいいじゃないか。
よく、オタクは好きなことになるとめっちゃ早口になってマシンガントークがはじまる、と言われることがある。
これは、幼児か動物と同じなのだ。
何かあると、突然走り出す。
嬉しいことがあると、ダッシュする。
トレーニングを積んでいなくても、感情にまかせて突然ダッシュすることはできるのだ。
このときだけは、スライムの言葉を溶かす速度も、まったく追いつかない。
そして、すぐに息切れして、「あ、なんかダッシュしてしまった」と恥ずかしい宝箱の貯蓄が増えていく。そして、途中で盛大に転んでしまったり、足がもつれたりする。
だから、「うわー、なんかこの人いきなり3年分は話始めた」と思ったときは、そっとしておいてください。
いきなり走りだす子どもをみる目で見ていただければ幸いです。
僕は、歌うことが好きだ。
ごくごくたまーにヒトカラにも行く。
仕事中は、音楽を聴きながら、別の部屋で妻がオンライン・ミーティングをしていないか、ハラハラしながら、熱唱している。
歌は平気なのだ。
たぶん、歌は自分の意思ではないから。
自分の頭や心の中から生まれていないから、スライムが出てこない。
どんに感情を込めて歌ってるつもりでも、自分の言葉ではないのだから。
だから、歌うことが好きなのかもしれない。
ってことは、もし自分で作詞したら、歌えなくなるのかな。
いや、歌うときにはもう、その言葉は過去の自分が作った言葉で、今の自分の頭や心から出たものではないから、大丈夫な気がする。
僕が二人で遊ぶような、仲良くなった数少ない人の多くは、僕とは違って、おしゃべりな人が多かったかもしれない。もちろん例外はあるけれど。
いや、世の中の多くの人はおしゃべりなんだから、当たり前なのか。
「おい」「あれ」だけでコミュニケーションが通じる昭和の熟年夫婦たち。
理解する努力を一方的に相手に押しつけているともいえる。
そんな関係は、妻は嫌がるだろうなー。
妻ももちろんおしゃべりで、スライムに溶かされることなく、言葉が自由に外に出てくる。
「よくしゃべるなー」と、いつも感心している。
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