ドラクエとスケート

僕には子どもの頃の記憶があまりない。
親も多忙だったから、写真を撮っている余裕なんてなかったし。
僕自身も嫌いだったから、写真もほとんど残ってない。
だから、記憶に残っているエピソードというのは、よくも悪くも、それだけ心が動いたということだろう。


僕は小学生から中学生はじめごろにかけて、埼玉県のすみにある、小さなボロい一戸建てが密集した集落のようなところに住んでいた。
当時は何も思わなかったけど、大人になってから再訪したときに気づいたのは、おそらく低所得者が集まったエリアだったのだろう。
集落全体がほぼ廃墟化していたけど、家は残っていて、こんなに小さかったのかと感じた。


その集落では3つ通りがあって、1つの通りで1つの通学班が組まれ、集団登校。
遊ぶのは必然的に、同じ通りの子どもたちとなった。
とは言っても、僕が覚えているのは妹の友達だったはす向かいに住む女の子ひとりだけ。
もう一人覚えているのは、同じ通りの子じゃなくて、うちが1本目だとしたら3本目に住む年下の男の子とその弟君。


中学になってから2本目に住む男の子が同じ学年って知ったけど、多分話したことはない。
それくら狭い世界だった。
何よりうちは兄弟が多く、遊ぶのは兄弟が主だった。


集落の中に入ると砂利道で、表通りはアスファルト。
ぼっとん便所だったから、週末の朝には汲み取り車が来る。
駐車場もなくて、車を持ってるひとはあまり住んでいなかったのかな。
集落の横には茶畑が広がり、秋になると小さな花をつける。
少し歩くと小さな桑畑があって、その向かいにある立派なおうちは小学校の同級生の家で、屋根裏ではカイコが育てられていた。


集落表通りのアスファルト道路は、僕たちの遊び場だった。
当時光ゲンジがはやっていて、カチャカチャと靴に装着するローラースケートをつけて、道路はスケートリンクになっていた。
今だったら、道路族と呼ばれ、遊ぶことが出来なかったかもしれないな。
兄弟全員分のスケートはないから、代わりばんこに付けて遊ぶ。
真夏に転ぶと、アスファルトがとっても熱かったことすら、楽しかった。


うちから片道1時間くらいのところに、スケートリンクがあった。
最寄り駅まで約2km、子どものときには果てしなく遠く感じた。
それから電車で1回乗り換えて30分くらい行くと、駅前にある。
冬になると、そこに遊びに行くのが恒例行事となった。
ワンシーズン1回か2回。
お姉さんかお兄ちゃんが引率になって、ただ滑りにいく。
スポーツとか何もやっていない僕たちだったけど、スケートは楽しかった。


ある年のスケートの日。
楽しく滑ってスケート場の外に出ると、一番上のお兄ちゃんに、近くにある雑居ビルの地下に連れていかれた。
なんだかアングラな感じで、不思議な空間。
異世界に行くような、ちょっとした冒険。
そこを降りると、中古ソフト屋さんだった。
当時一部界隈にだけ需要があったパソコンや、ファミコン、ファミコンソフトが売っていた。
そこでガラスケースの中に、燦然と輝くファミコンカセットをみつけた。

『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』

定価はたしか5,000円とか6,000円くらいだったかな。
当時の僕には、まったく手が届かない高嶺の花。
でも、そこで輝くのは中古で「1,000円」と書かれている!
欲しい!
ちょうど手持ちも1,000円あった。
極貧家庭の僕にとって、全財産にも等しいかなりの金額。
僕は勇気を振り絞り、夏目漱石に別れを告げた。
そして、お金では買えない気持ちを抱え、家路を急いだ。
そして…


これがたぶん、僕が自分で何かを欲しいと思って、自分で購入した記憶の最初かもしれない。
もうすぐ中学生という年齢だったか、そんなことはないはずなんだけど。
欲しくて手に入れて宝物になったものは、記憶ではあとひとつ。
トランスフォーマーのおもちゃ。
コンボイとか、おっきくて有名なやつじゃなくて、小さくてよくわからないやつ。
宝物といいながらも、キャラクターの名前も覚えていないけれど。
あれもこれも欲しいとならず、ある程度あるもので満足できるのは、この頃から変わらないのかな。 

コメント