僕の髪史とドレッドヘア

コミュ障なのに(コミュ障だから?)人の目があまり気にならない僕は、ちょっとやさぐれてしまった16歳以降、様々な格好や髪型をしてきた。
人の目が気にならないのに自分の見た目を変えるっていうのは、矛盾しているようにも思える。

人からどう見られたいのか?

自分がどんな格好をしたいのか?

は、必ずしもイコールじゃないだろう。
でも、完全に関係ないわけでもないだろう。
そのあたりの心理学的なものを勉強したことないからわからないけど。
とにかく僕は、好き放題な髪型と格好をしてきた。


まずは高校時代。
高校2年16歳の夏休み、いきなり金髪にした。
「夏休み」というところが自分ながら情けない。
2学期が始まる前には元に戻したけど、一度夏休みの登校日だったかに学校に行ったときは「この学校には外人がいるのか!」と知らない体育教師っぽい先生に言われた。
今の時代だったら問題発言?。
1ヶ月ちょいしかない金髪期間だったのに、バイト先のラーメン屋の常連さんには、それ以来「マイケル君」と呼ばれるようになった。
金髪=外国人=マイケル、というとても安易なニックネームだ。
それ以外は、高校時代はほぼ黒髪だったけど、たまにリーゼントをしたこともあったかも。
ヤナギヤのポマードで。


高校を出てバイクの整備士をやっていたときは、ロン毛だった。
整備するのに邪魔くさいのに、なんで伸ばしていたんだろう。
でもお客さんには、担当の僕の名前がわからなくても「あのロン毛の兄さん」で通じるので便利だった。
服装はウェスタンな感じだ。
ブーツカットのジーンズにスウェードのジャケット。


バイク屋をやめてフリーターをしていた頃、パンクロックとかを聴いていて影響されてしまった僕は、髪の毛を緑色にした。
透き通る綺麗なエメラルドグリーンだ。
もっとも、綺麗なのは最初だけ。
2週間もすると色が抜けて、くすんだ緑色になった。
少ししたらエメラルドグリーンをやめて、一見黒だけど陽に当たると緑色がかってるよね、という程度になった。
この頃の服装はあまり覚えていないな。

同じ頃、モヒカンもやった。
モヒカンといっても、ヒャッハー!な感じでおっ立てるのは大変なので、1回もやっていない。
客観的にはただ激し目のツーブロック程度に見えていたはず。
20代のころ、坊主頭も何回かやった。
アジアに旅行に行ったときも、頭洗うの面倒くさそうなので坊主にした。
坊主は楽でいい。
今は妻に反対されるので坊主に出来ない。
剃る、まではやっていないので、スキンヘッドはやったことがない。
あと、アフロもやったことがない。


そして我が人生で一番目立っていたのが、ドレッドヘアだ。
1年にも満たない期間だっただけれど、僕は一時期とても目立つ髪型をしていた。
ドレッドと言ってもレゲエみたいなぶっとい束ではなく、細めの束が胸くらいまでの長さ。
もちろん地毛ではなく、ボブカット程度の長さの地毛にエクステンションを編み込んで作る。
エクステは専門の業者さんにやってもらうんだけど、エクステ材料費と施術費込みでたしか8万円もかかった。
ネットで調べて予約を取り、当日その住所に行くと、ごく普通のマンション。
ご自宅マンションの一室が施術部屋だった。
たぶん30代くらいのおねーさんが出てきて、施術が始まる。
美容師免許は持っていないらしく、髪の毛を切ることはできない。
ただ編み込むだけ。
美容室の椅子のようなリクライニングチェアに寝て、あとは任せるだけ。
施術時間は驚きの8時間。
それを知っていたので、当日は朝まで寝ないで来ていた。若かった。
他人がいるところで寝るなんて無理。
でもずっと起きてるなんて、コミュ障にはそれ以上に無理だったから、寝ないで来たのだ。
施術が始まって少しすると幸いにも眠くなり、僕は眠りに落ちた。
途中ふと眼が覚めると、何やら話し声が聞こえる。
うすーく目を開けると、おねーさんの友だちらしきおねーさんも一緒に編み込みをしている。
それだけならいいのだけど、話している内容が…
「旦那がさー」
みたいな女子トーク!
絶対に起きているとバレてはならない。
必死に寝た。
寝てないけど寝た。
途中お昼ぐらいに目覚め、出前を取るというので一緒に頼み、昼を食べて続きを開始。
夕方くらいに終了。
8時間ただ編み込むって、気が遠くなりそうなお仕事だ。
こうして丸一日かけて、僕の頭はちょい長めから、長細いドレッドヘアになった。

ドレッドヘア生活は、噂に聞いていたほど痒くもならず、頭が少し重いくらいでたいしたことなかった。
ただ、とても目立つ。
当時僕はエスニックな民族衣装ばかり着ていた。
身長182cm体重65kgの細長い男がアジアの民族衣装を着てドレッドヘア。
とても目立っていたらしい。
自分ではよくわからなかったけど。

新宿で夜勤のバイトをしているとき、ご飯を食べに深夜に歌舞伎町に入ると、100%の確率で職務質問された。
すごいの。
ふと気づくと日体大ラグビー部出身です!みたいな屈強なお巡りさん3名に囲まれていて、トライアングルなフォーメーションで絶対逃がさない構え。
任意とは何かね。
「触っていい?触るよ?触るからね?」
ポケットの中を確認するときは必ず聞いてくる。
「お財布も見せてもらえる?中見るからね?」
お財布からポケットから隅から隅まで捜索。
外見的には、誰がどうみても大麻をやってそうな見た目。
お巡りさんたちも「こいつが絶対に持ってないわけ無い!」って感じで隅々まで血眼に。
だけども見た目だけで、僕はそういうのは一切やらない。
好きなだけ捜索させると、3分もあれば解放される。
歌舞伎町に入るたびにこれだった。

この頃僕は、京都・奈良にはまっていた。
その延長で、日本文化にもはまっていた。
あるときふと行った浅草寺近くの小さな和服屋さんで、木綿の長着(着物)を買った。
たしか3万円くらいの安物だけど、僕の身長だと、1反では作れないので少し高くなってしまうらしい。
で、頭がちょっと奇妙だった僕は、エスニックな民族衣装と長着や野袴を組合せ、とても変な格好をするときがあった。
普段自分が目立っているとはまったく思っていないし、人の目は全然気にならないけど、ドレッドヘアでこの格好をしているときだけは、さすがに自分でもわかった。
新宿大ガード交差点の信号を渡っているときに、一緒に歩いていた友だちが「今日は一段と凄いねw」と笑い出す。
ふと気づくと、すれ違うほとんどの人が振り返り二度見していく。
芸人だとでも思われたのだろうか。
やり過ぎだったらしい。
京都清水寺に向かう三年坂でも、同じように皆様に非日常をお届けしたのを覚えている。

ただこのドレッドヘア+エスニック+和服の組合せは、おばさま達と外国の方には人気が高かった。
1人でお寺やお庭巡りをしていた僕は、あるとき、とあるお庭に向かうローカルな電車の中にいた。
隣に座っていたおばさま2人組が、なんの躊躇もなく話しかけてくる。
「綺麗な頭ねー。今朝編んで来たの?」
「あ、え、まぁ(8時間かかるのでそれはむりっす)」
コミュ障な僕は心の声を出せないので、おばさま達は僕が朝から小学生女子のようにウキウキしながらきっちり編んできたんだと思ったことだろう。

またあるとき、新宿での夜勤明けで自宅に帰るために電車に乗る。
平日の通勤ラッシュとは逆方向なので、電車内はガラガラだ。
僕が大好きな隅っこに座って電車が出発するのを待っていると、黒人のおにーさんがご乗車してきた。
どうみても酔っ払っている。
まっすぐ僕の方に歩いてきて、親友のように肩を組んできた。
「Yo! Reggae!」。
こんな頭しててもレゲエとかまったくわからないです。
興味も無いです。
と心の中で念じるも通じず、黒人さんはなんか異国語でペラペラしゃべって去って行った。

またあるとき、奈良のはずれの方にあるお寺を一人でまわり、ちょっとベンチに腰掛けていると、英国淑女っぽい白人のおばさまに話しかけられる。
「オモシロイなカオデスね〜」
と日本語で。
微笑みながら僕の頭を見ながら。
おそらく「興味深い」という意味で使ったのだろう。
そうに違いない。
コミュ障+英語わからない僕は、寡黙なサムライを演じて、「あ、ども…」と頭を下げた。
そして「シャシンいいデスか?」
観光地あるあるのカメラ渡すから写真撮ってくれ、だと思ったら、僕の写真を撮りたいと。
好きなだけ撮らせた。
ツーショットも撮らせてやった。
コミュ障は写真に撮られるのが嫌いだけど、それ以上に外国人に断ることができない。

それとはまた違う日、僕は京都東寺の五重塔の下にいた。
新幹線から見えるあれだ。
毎月21日に行われる「弘法さん(陶器市)」をブラブラした帰りだった。
このときは、例のエスニックな民族衣装+和服アレンジの最も変な格好だった。
そこに通りがかった20代くらいの白人男性。
僕をガン見してくる。
気づかないふりをしてそれとなく逃げようとするも、まっすぐ向かってきて、
「サムライ!シャシンいいデスか?」
今度は英語だ。
こちらがコミュ障サムライであることなどまったく気にせず、ぐいぐいくる。
まあいいかと「おけおけ」と言おうと、パシャパシャ撮影し出す。
ひとしきり撮って満足したのかまた寄ってきて、
「ありがとう!僕はニューヨークに住んでいて、旅ブログやってるんだけど、載せてもいい???」と聞いてきた。
たぶん、そう言っていた。
自信をもって聞き取れたと言えるのは「newyork」と「blog」だけだったけど。
遙か遠くの異国だし、まあいいかと「おけおけ」と返事をした。
後から思えば、どんな風に掲載されたのかブログのURLを聞いておけばよかった。
今でも後悔している。

そんな僕のドレッドヘア生活も1年弱で飽き、自分で風呂場でハサミでカット。
約1年の固着は激しく、その後もしばらくは何か変なパーマ頭になっていた。
なによりも、頭が軽くてすごい!感動!
ゴシゴシ頭洗える!
余計なものがないって素晴らしい。


その後、こんな僕でも年齢と共に服装も髪型も落ち着いてきた。
服装は綺麗目に。
髪型はウェーブくらいのパーマで、30代の頃は常にアシンメトリーだった。
目立つわけでもなく、ちょっと変かも?、くらいに落ち着いた。
この頃、ちょっと抜毛症気味になり、勉強中とか煮詰まると自分で髪を触りすぎて、ヤンキーがそり込みを入れるあたりが少しハゲてきた。
いよいよ来たのか、ハゲが。
アラサーの僕は焦った。
さすがに早すぎる。
最終的にハゲるのはしょうがないし坊主にでもするけど、まだ早い!
脱色染色いろいろやってきたつけが来た!?
マッサージブラシを買ったり、ネットでいろいろ調べる日々が続く。
勉強どころではない。
どうやら洗髪というのは髪ではなく地肌を綺麗にするのがいいらしい。
そしてたどり着いた「オレンジ地肌シャンプー」。
今調べたら、チャッピーによれば発毛効果なんて無いらしい。
でも僕はこいつのおかげでハゲなかったと、エビデンスのない迷信のような信仰をしている。
もちろん今も愛用していて、今でもフサフサのはずだ。


そして現在。
僕はもじゃもじゃ頭になった。
整髪料をつけるのは若いときから好きでは無くて、セットをするのも面倒くさくて、何もしないでもセットされた感じになっているパーマが楽なのだ。
30くらいから20年近く、途中美容室に通わずセルフカットや妻カットの時期もあったけど、基本的にはパーマ頭だ。
美容室には、もう伸びてうざったくて限界となるまで行かないから、今でも3,4ヶ月に1回だけ。
あ、ちなみにずっと髭面だけど、これは肌が弱すぎるから。
顎や口周りが青くならないように深ぞりしようとすると、肌が弱すぎて真っ赤になってしまうのだ。
髭なのもあいまって、まともな仕事をしているようには見えないだろう。
スーツが似合うイケオジ人生は、僕には無縁だったようだ。
50間近の今、まだ白髪もほとんどないけれど、白髪になっても染めはせず、ロマンスグレーのダンディーなおじさまになりたい。
おじーさんになっても、ハゲるより全部真っ白でフサフサだといいなー。
ハゲたら坊主にしよう。
妻が絶対許してくれないけれど。



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