店長とセカンドバッグ
「昭和・平成初期のおじさんアイテム」筆頭と言えばセカンドバッグだろう。
ヤンキーアイテムとしても有名だ。
黒い革や合皮、ワニ革調、テラテラしたものも多い。
A5サイズのノートが入るかな?くらいの微妙なサイズ。
肩に掛けることもできず、片手が塞がってしまう。
使い勝手も悪く、物もたいして入らない。
なぜあれほどみんな持ち歩いていたのか。
僕のちょい不良時代の仲間たちには、セカンドバッグを持ち歩いている奴はいなかったはず。
いや、何人かいたのを今思い出した。
でも、僕の中でセカンドバッグといえば、イコール店長なのだ。
高校時代から約2年間お世話になったバイト先のラーメン屋の雇われ店長。
その後の長いフリーター時代、幾人もの店長と関わったし、自分が店長だったこともある。
でも、僕が「店長」といえばイコール彼。
僕にとって、「店長」と言えば彼ひとりしかいないのだ。
そして店長はいつも、セカンドバッグを持ち歩いていた。
店長は僕より3歳年上だった。
僕は高校2年からラーメン屋バイトをはじめ、その頃から店長だったので、当時まだ19か20歳。
身長高めでスマート体型、茶髪でパーマ、色白で少し尖ったキツネ目。そこそこイケメン。
そして店長はいつも、セカンドバッグを持っていた。
それなりに偏差値の高い地元私立高校出身なのに、なぜ進学せずラーメン屋の店長をやっていたのか。
そういえば店長とラーメン屋のなれ初めとか、聞いたことないな。
当時はなんとも思わなかったけど、あのセカンドバッグには何が詰まっていたのだろう。
セカンドバッグは2つあったんだ。
ひとつは、お店の釣り銭だ。
こちらはしょうがない。
セカンドバッグである必要はまったくないけど。
お店が終わるとレジを閉めて、釣り銭と売上げの計算。
売上げた現金をどこに保管するか。
お店に保管は危険、自宅は雇われなので嫌、となると銀行に入金が一番安全。
ただ当時はまだコンビニにATMなんてなかった。
コンビニ自体少なかった。
銀行は15時に閉まる。
売上げは、夜間金庫に投入するのだ。
当時、銀行や信用金庫には、夜間金庫という図書館の返却ポストみたいなものがあって、そこにお金の入った袋を入れると、翌日職員さんが手動で入金手続きをしてくれる、というアナログながら便利なシステムがあった。
釣り銭はしょうがないから自宅に持って帰る。
釣り銭が足りないな、というときは朝出勤前に銀行にいって、「両替機」で両替をして釣り銭を用意する。
その現金たちを入れていたのが、セカンドバッグだったのだ。
店長がお休みの日は、僕がこれらの業務を代わりにやることもあった。
つまり僕も、平成初期のイケてるセカンドバッグ男子だったのである。
ちなみに、その数年後僕はこの店に出戻り、2号店の店長を少しだけやった。
その頃もう店長は転職していなかったけど。
そのときの釣り銭・現金入れバッグは、ウェストポーチにした。
当時ウェストポーチ=オタクというイメージがあったけれども、セカンドバッグよりはいいだろ、という苦渋の決断であった。
セカンドバッグ=店長だから。
店長が持っていたもうひとつのセカンドバッグは、私物だ。
通勤時に持ってる。
当時はまだ携帯なんてない。ピッチもない。
せいぜいポケベル。
ポケベル・お財布・家の鍵。
これくらい?
ならお財布だけでいいのでは?
何が入っていたのだろう。
今更ながら気になる。
約30年ぶりに連絡をしてみようか。
いや、もちろん連絡先なんてしらない。
店長はあの数年後結婚して、マンションを買ったのだ。
マンション名まで覚えてる。
けど部屋番号はさすがにわからない。
遊びに行ったのは1回しかない。
仮に覚えていても、僕には行く行動力なんてない。
店長には2人の娘がいた。
最後に見たときは幼児だったのに今はアラサー。
時間の流れが怖すぎる。
店長もきっと頭が薄くなって、小太りになっていることだろう。
僕の中の店長はスマートでヤングな20歳ボーイだ。
会っても気づけるわけが無い。
酒が好きだったから、間違いなくビール腹だ。
酒のおかげで(せいで?)店長は結婚したのだし。
たまに1人で飲み歩くことがあった店長は、あるスナックのお姉さんに入れ込んだ。
飲み歩くと言っても車だ。
なぜか車でしかたどり着けない僻地に飲み屋がいっぱいあった時代だ。
あの日のことは少し覚えている。
その日はなんだかやさぐれていた店長に飲みに誘われたんだ。
まだ10代なうえに酒が飲めない僕に、
「俺も飲めなかったんだよ。飲んで吐いて強くなるんだよ。俺の酒が飲めないのか!」
と、今なら芸能界干されること必至の説教をしてきやがった。
飲酒運転の時点で今なら終わりだけど。
僕は硬派で芯がブレない男を演じていたので、「酒は飲まん」と断っていた。
だって飲めないから。
1杯飲むと赤くなってアトピー再発なのか痒くなって気持ち悪くなって吐く。
酔っ払ったことなど我が人生に一度もない。
ただ不味くて気持ち悪くなるだけの液体をなぜ飲むのか、飲まねばならぬのか。
そしてその日、僕も付き合ったのだ。スナックに。
こーこーせーをスナックに連れて行く極悪人だ。
当時は年齢確認なんてないけど、僕は正直に高校生です、とコミュ障発揮しながらスナックのお姉様たちに申告。
するとむしろ可愛がられた。
お子様にはちょっと刺激が強かったので、僕は歌を歌ってあとは黙っていたんだ。
場をもたせるにはお茶だ。
僕がウーロン茶を4杯くらい飲んだときに、帰ることになった。
店長とはそこで別れたのに、あいつはさらにハシゴしたらしい。
その日、店長は後に姐さんとなる2歳年上のお姉さんをゲットし、長女もゲットしたんだ。
かすみさんに惚れてたんじゃなかったのかよ!
店長はお店の4軒隣の人妻に惚れていたはずなんだ。
かすみさんから出前が入ると、どんなに忙しくてもすぐ自分で行く。
かすみさんが食べにくると舞い上がる。
消防士の屈強な旦那さんと一緒に来ると機嫌が悪くなる。
スナック勤務の魔性の女に、かすみさんは負けたのだ。
かすみさんは土俵に上がったつもりもないだろうけど。
その後店長は魔性の女と結婚し、不安定なラーメン屋を辞め、給食センターかなんか安定したところで働き始めた。
ラーメン屋と言ってもチャーハンも中華丼も麻婆豆腐もエビチリもある町中華。日替わり弁当もやってたし料理することは多い。
調理が好きだったのね。
初めて知った。
ただの酒好き女好きで適当にラーメン屋やってんのかと思ってた。
そして2人目が生まれたころ、店長はマンションを買って、僕も遊びに行ったのだ。
姐さんは店長が結婚しただけあって、めっちゃ綺麗な魔性の女で、正直怖い。
Vシネに出てきそう。
キセル咥えて「ヤっちまいな!」とか言ってそう。
あ、そうそう。
ラーメン屋バイトの1歳年上の先輩もスナックにはまり、お姉さんにマジ惚れし、最初のうちは1人で行けないからと、僕を連れて行った。
僕は自分でスナック代を支払ったことは一度もないけれど、高校生のくせにスナック通いをしていたのだ。ウーロン茶を飲んでカラオケをしに。
その先輩は高校卒業後自衛隊に入り、眉毛を剃り、社会人デビューした。
スナックさんは落とせなかったらしい。
あれから店長には会っていない。
なぜかゴルフを始め、高校生の僕を打ちっぱなしに1回だけ連れて行ってくれた店長。
スナック遊びを教えてくれた店長。
どちらも、その後も自分では1回も行っていないけれど。
店長の高校時代からの友だち常連さんたちからマイケルと呼ばれ、彼らがとても大人なお兄さんお姉さんに見えていた10代の僕。
10代に酒を飲まそうとし、スナックに連れ回し、人妻に惚れ、ゴルフとか「こういうのも必要なんだよ」と大人の付き合いの哀愁を教え、チャーハンの炒め方を教え、僕の付き合いがあったパンチパーマのガチヤンキーが来ると頑張って平気な顔をしながら内心ビビり、酒好きなくせにすぐに顔が赤くなり、授かり婚で年貢を納めるという人生を教えた店長。
そのどのシーンでも、彼の右手にはセカンドバッグがあった。
結局、あのセカンドバッグには、何が詰まっていたのだろう。
スナックのお姉さんの名刺のほかに、なにか大事な物が入っていたのだろうか。
きっと店長は、ラーメン屋の仕事が大好きだったんだ。
自分が作った料理で、目の前の人が笑顔になる。
「ごちそうさま」、という言葉をくれる。
そんな宝物たちを、あの小さなバッグに詰めていたんだ。
そして、そんな笑顔やひとことが遠くなってしまう給食センターという道を、店長は選んだんだ。
きっと今度は、家族の笑顔と幸せを、セカンドバックに詰め込むために。
あのセカンドバッグは、10代のお子ちゃまな僕に、ちょっと大人な世界と、人生のかけらを、そっと教えてくれていたのだろう。
僕はいつもチャーハンを作るとき、店長とあのセカンドバッグを思い出すんだ。
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