きょうだい
僕には、7人のきょうだいがいる。
僕を入れて8人きょうだいだ。
僕は上から5番目の4男。
絶縁したきょうだいもいるし、絶縁ではなくてもまったく連絡をとってないきょうだいもいる。
一番上から一番下までは13年くらい離れているから、みんなで一緒にすごしたのは、たぶん5年あるかないかくらい。
みんなで最後に集まったのも、たぶん同じ時期くらいだろう。
人生のごくわずかな時間だし、もう40年近く前だ。
それでもやっぱり僕にとっても大事な人たちで、今日は少しだけみんなのこと思い出してみよう。
一番上は、おねえちゃんだ。
うちはキリスト教家庭だったからか、みんなファーストネームで呼んでいた。
でも、おねえちゃんだけは例外で「おねえちゃん」。
「パパ」「ママ」「おねえちゃん」、その他は名前だ。
僕が8歳くらいのときに父が蒸発した。
父はその何年も前からほとんど家にいなかったみたいだから、母は僕たちを生かすために、お金を稼ぐので精一杯だった。
だから、おねえちゃんが母親代わりをしていた。
それにバイトができるようになったら、バイトで稼いだお金を家計に入れていた。
高校も定時制高校で、働きながら頑張って通っていた。
今でいうヤングケアラーで、人生の重要な若者時代の多くを、家のために犠牲にした。
おねえちゃんの犠牲のおかげで何も考えずのほほんと育った僕は、子ども時代の記憶があまりないけれど、おねえちゃんが働いていたファミレスでの誕生日会の記憶は強く残っている。
よほど嬉しかったんだろう。
誰の誕生日だったのかも、細かいことはなにも覚えていないけれど、ファミレスの僕たちがいる一角が暗くなって、ロウソクが灯ったバースデーケーキが運ばれてくる。とても幸せな光景の記憶だ。
僕が小学から中学にあがるくらいだろうか、おねちゃんは結婚して、女の子を産んだ。
それでも家の呪縛からは逃れられず、旦那さんや、旦那さんのご実家にも我が家はご迷惑をかけ、それほど幸せな結婚生活ではなかったのかもしれない。数年で離婚して、シングルマザーとなった。
優しいおねえちゃんは、その後も自分の暮らしも大変なはずなのに、わが家を支え続けた。
今では連絡を取れなくなって久しいけど、幸せに自分の人生を生きていてくれてるといいな。
当時なんのサポートもせず、おねえちゃんの善意に甘えるだけだった僕に、言えた義理ではないけれど。
おねえちゃんの下からは、男の子が4人続く。
おねえちゃんは背が高くて、ほかのみんなは小さかった。
だから、母が楽しそうにアブラハムの歌を歌っていたのを覚えている。
まだ一番下の子が生まれていなかった頃か、「8人の子」と替え歌していたのか。
子どもが好きな母にとっては、一番幸せだったときなのかもしれない。
アブラハムには7人の子
一人はのっぽであとはちび
みんな仲よく暮らしてる
さあおどりましょう
※歌:子門真人、作詞(訳):加藤孝広、作曲:不明(米国童謡)『アブラハムの子』CBSソニー、1979
次は一番上のお兄ちゃん。
この長兄が僕に一番影響を与えた人物。
お兄ちゃんはとっても小さくて、背の順で並ぶといつも一番前。
でも次兄はそこそこ大きいし、僕は成長したら180cmを超えてしまった。
僕の勝手な予想では、幼少期に心理的プレッシャーを受け続けると、成長が阻害されるのでは?と思っている。
僕は覚えていないのだけど、長兄はかなり父から強く当たられていたみたいだ。
心の防衛本能なのか、長兄は子どもの頃の記憶がほぼないらしい。誰かから聞いた話で、僕が直接聞いたわけではないけれど。
長兄は、いろいろなものを持ってきて、僕に共有してくれた。
僕が子どものときに触れたサブカルチャーは、ほぼ長兄経由だ。
トールキンの『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング原作)や、あらゆるロールプレイングゲームの元祖『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』、や『ウィザードリィ』といったファンタジーもの。
『D&D』はよくきょうだいで遊んで、とても楽しかった。
あとは、『ぼのぼの』『究極超人あ〜る』『パトレイバー』『アタゴオル』『MASTERキートン』などなど。
カシオの小さなパソコン「MX-10」を買ってきて、プログラミングもちょっとやっていた。
長兄は18歳になって少ししたら、家を出て行って、そのまま帰ってこなかった。
たしか、夏の暑さが和らいだぐらいだったかな。
そのとき僕たちは、マンションの5階に住んでいた。
マンションといっても1棟だけの団地って感じで、エレベーターもない築年数も結構たっているとこ。
マンションの表は大きな道路。
裏にはお茶畑が広がっていて、お茶畑の中を人が通るためだけの細い小道が通っていた。そこを歩いて少し行くと駅がある。
僕はその日、5階のベランダから、眺めていた。
今でもはっきりと覚えている。
茶畑の中、どんどん小さくなっていく長兄の背中を。
それ以来、僕は長兄とは一度も会っていないし連絡も取っていない。
お姉ちゃんとはたまに連絡を取っていたみたいで、世界中をひとり旅したり、元気で生きていることだけはわかっていた。
次は次兄だ。
子どもの頃は、次兄が遠い存在だった。
次兄には、僕とは違って、たぶん外に自分の世界がちゃんとあったんだ。
兄弟は男子4人が並んでいたけれど、次兄はいつもあまり関わっていなかった気がする。
長兄と次兄の関係性とか、あまりよく覚えていないし、もしかしたら僕は当時から人間関係だとか、そういったものに鈍感で、覚えていないどころか見てすらいなかったのかもしれない。
長兄も僕もいわゆる陰キャだけど、次兄はそうではなかったのかな。
子どもの頃の僕からみた次兄のイメージは「日向小次郎」だ。マンガ「キャプテン翼」に出てくる、いつも腕まくりをしているちょっと尖ったお兄さん。
不良ではないけれど、ちょっとやさぐれているような、そんなイメージ。
あるいは、長渕剛。長渕剛を次兄が聞いていたのかどうかは定かではないけれど、ドラマ「とんぼ」の主人公がなんかイメージと被っていた。
本人が聞いたら驚くだろうけど。
次兄も定時制高校で頑張って働きながら勉強して、その頃お世話になった会社に何十年も勤めている。僕とはまったく逆で尊敬する。
そして大人になると、たぶん長兄が出て行ってからなんだろうけど、次兄はこの家の長男として自分が頑張る、と決意したんだと思う。
働きながら家を援助して、とうとう母に家を買ってプレゼントしたんだ。
ずっと借家で不安定だった母の安住の地を。
そして、この家が母の終の住処となった。
子ども時代にはあまり僕の世界にいなかった次兄が、大人になって帰ってきた。
今は、一番というかまともに連絡を取るきょうだいは、この次兄と妹2人だけ。
次兄には数年前に待望の娘が生まれ、いいパパをして溺愛している。
僕が子どもの頃に一番よく一緒にいたのが、年子の三兄だ。
三兄は眼がクリクリしていて、常にぬぼーっと無表情の僕とは違って、表情が豊かな明るい子どもだった。
とってもアクティブで、いろいろな事をやっていた。
三兄がお祭りで連れ帰ってきたヒヨコ2羽は、あっという間に大きくなり、毎朝早くに夜明けを告げ、たまに脱走しては近所のおばちゃんをつつきまくる武闘派に育った。連れて行った学校でも大暴れ。
そのうちシマリスを飼い始め、こちらも学校で飼うことになり、もちろん脱走。校長室に逃げ込み、僕も呼び出され校長室の中を駆けまくった。
ほかにも亀やらインコやら、おぼろげだけどいろいろ手を出していた記憶がある。
よく一緒に行ったペットショップでは、看板娘のような巨大なコンゴウインコがいつも迎えてくれて、三兄はこの娘をゲットしたかったみたい。よく海賊の相棒として描かれる、あのデカいインコだ。もし三兄が飼っていたらあっという間に逃がしただろうし、実現しなくてよかった。
あとそのお店で三兄が欲しがったのは、巨大なオオコウモリと、リスザル。
たぶん兄が一番心の底から欲しかったのは、リスザル。他とは見る目が違った。
こちらも実現しなくて本当によかった。
他に三兄がハマったのは、ピアノとマイケル・ジャクソン。
ピアノはもちろん我が家にはないし、習い事をする余裕なんてない。
でもいつも行く教会にはオルガンや電子ピアノがあった。
家にも安いシンセサイザーか電子ピアノか、そういうのがあって、おねえちゃんと三兄がいつも弾いていた。妹たちも少しやっていたかな。僕はまったく興味がなかった。
そしてマイケル。
1987年にマイケル・ジャクソンの来日ツアーがあって、日本は空前のマイケルブーム。
三兄は友達とユニットを組んで連日踊りまくり、中学校の文化祭で全校生徒の前で披露したんだ。かっこよかった。
そんな三兄とは大人になってからも2人でアパートを借りて一緒に住んだりした。
いつの間にか連絡を取らなくなって、母の葬儀以来会っていない。
三兄の1歳下が僕だ。
僕には下にもきょうだいがいる。
長妹、次妹、弟。
でも僕には、子どもの頃の彼らとの記憶があまりない。
一緒に遊んだりしたのは覚えているけど、特筆するようなエピソードを覚えていない。ないはずはないんだけどね。
末弟は結構歳が離れているからしょうがないということにしとこう。
長妹は、一番僕に近いかもしれない。
物静かで、自分の内側に潜るタイプ。
ツンデレというか、何かあると嫌そうに文句は言うけれど、ちゃんとやってくれる。
犬の散歩をお願いしても、「えー」と言いながらも、結構長めに行ってくれる、とか。
意外とアクティブなところもあるらしく、大人になってから、サバイバルというか本格的なインディアンの技術を学ぶ教室に通っていた、ようなことを聞いた気がする。
読書が好きで努力家。
僕と同じ高校に通って、高卒で頑張って、派遣で働き始めた超一流企業に身請けされ正社員に。英語を日常的に使う部署で英語を駆使して働いたらしい。すごい。
母とずっと一緒に住んでくれて、母が倒れてからは介護も次妹と一緒にやってくれて、母が幸せな老後生活を送り、幸せに旅立てたのは、妹2人のおかげだ。
次妹は家族の中では一番の陽キャ。
いつも明るく自由でワガママな子。
機嫌が悪くなると、わざと大きな足音を出したりする、感情の起伏を隠さないタイプ。
子どもの頃はね。
大人になってからはビリヤードにハマって僕をボコボコにした。
とても優しくて母を支えてくれて、本人と母との間で大きなトラブルがあったときも、母を見捨てなかった。
自分も病気や仕事や、決して順風満帆な若者時代ではなかったけど、運命の人に出会い結婚。お相手は最高の人物で、とても優しく思いやりがあり、今でも次妹を溺愛しているラブラブ夫婦。
妹2人は今でも仲良しで、旦那が先に逝ったら一緒に老人ホームに入るらしい。
弟は、弟が小学校に入って少し大きくなったくらいのときには、僕はもう少しグレてしまっていたから、あまり関わっていないし思い出もあまりない。
末っ子として母に溺愛されて育ったように思う。
同じ兄弟とはいえ、父は赤ん坊の時にいなくなっているし、きょうだい全員で暮らしていた記憶もたぶん無いくらいで、僕とはまったく違う子ども時代を経験しているんだろう。
弟は僕に比べればはるかに社交的な人物。
でも、大人になってからいくつかトラブルにも見舞われたらしい。
今ではどういう経路で入ったのかは知らないけれど、一流企業で頑張っているようだ。
大人になってからも2人で連絡を取るということはなく、やはり母の葬儀以来会っていない。
客観的にみれば、8人いても僕たちは静かなきょうだいだったんだと思う。
もちろんみんなが小さいときには、うるさい事も多かっただろうけど。
子どもが多くて大変ながらも、みんな生きて大人になった。
グレたのは僕だけで、ほかはみな罪も犯さず、真面目に頑張って生きてきた。
母子家庭で8人の子、当然貧困で、習い事なんて当然やっていないし、まともに高校生活も送れなかった方が多い。
おそらく知らない人から見たら、とても不幸な子ども時代に見えるだろう。
でも僕は、自分が不幸だとか、貧乏で辛いとか、一度も思ったことがなかった。
もちろん僕が知らないところで、というかあえて見ないようにしていたところで、姉や兄たちが、自分を犠牲にして頑張ってくれた結果なのだけど。
仮に、まったく同じ環境で育ち同じ体験をしても、経験することや感じたこと、みたものはそれぞれ違うのだから、きょうだいみんながどんな経験をしてなにを感じ学んだのか、それは僕にはわからない。
みんなはあの時のことを、楽しいいい思い出だと感じているのだろうか。
あと何十年かして、みんなママの待つ天国に行ったら、またみんなで楽しく話せるだろうか。
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