高身長あるある

寝る子は育つ。
とよく言うように、僕はすくすくと無駄に大きく育った。
確かに僕はよく寝る子だった。
今でも睡眠教の敬虔な信徒だと自負しているくらい、寝て寝て寝まくった。
そして、いつの間にか兄の身長を超え、どんどん細長く、ぬぼーっと育った。
小学生の高学年か、中1くらいのとき、どこかのお店のガラスに映る自分の姿に、びっくりしたことを覚えている。
「誰?なんかひょろ長いマッチ棒みたいな人がいる?僕?」
僕の頭は混乱した。
初めて鏡を見たチンパンジーのように、右手をちょっと上げてみる。
間違いなく僕だ。
自分の心の中にある自画像と、ガラスに映る自分が、まったく一致しない。
こんなに細長くなっていたことに、僕はまったく気づいていなかった。
金縛りにはよくなったけど、よく聞く成長痛はまったく覚えていない。
家には姿見などなく、自分の外見を客観的に見る機会がなかった。
だから僕は、自分の自画像を現実に描き換えるのが大変だった。
そして、大きなことがコンプレックスになった。

僕の1歳上の兄は、それほど大きくなかった。
兄の背を超えてしまったことに、何か罪悪感を覚えてしまい、いつも背中を丸め、できるだけ小さくなろうとした。
自分の自画像を描き変えることに失敗し、現実の方を自画像に合わせようとした。
無駄な努力だったけれど。
そんな日々は中学くらいで終わった。その歳くらいになると、兄弟で仲良く歩くことや遊ぶこともなくなってきたのもあるだろう。
僕は自分の身長を受け入れることができるようになった。
そして僕は、182cmという長身界隈の住民になってしまった。
イントロが長くなってしまったが、長身に慣れてから35年ほどたった今、長身であるがゆえの経験、「高身長あるある」を残してみよう。

もっとも、182cmなどというのは、高身長界隈の中では最弱である。
背高い部族に入った僕だけど、背高い部族の中では最弱、よわよわ。
バスケ民やバレー民なら、「あの人小さいのに頑張るね」と言われる程度だ。
ゆえに、「あるある」に共感しない部族民もいるであろうことは、ここに断っておこう。

ちなみに、手元ですぐにみえる検診結果記録に記載されている身長は以下のとおり。

・33歳:182.2cm
・35歳:181.8cm
・41歳:183.1cm
・49歳:182.5cm

35歳のとき「182」と言っていたら、つまらないサバ読む奴、と思われていたことだろう。
そしてなぜか妻は、僕が183cmだと思っていた。
おそらく、出会ったときの僕が、つまらないサバを読んで見栄をはったのだろう。
この公的記録にあるように、僕は「182cm」でファイナルアンサーなのだ。
これからさらに歳を取れば、椎間板ももっとへたって、骨も潰れて、181cmになるかもしれない。
それでも自称182cmでいこう。
なぜなら、「182」という数字がしっくりときて気持ちがいいから。
なぜか、気持ちがいいしっくりくる数字ってあるよね。
テレビのボリュームやエアコンの設定温度とかも、「24」はしっくりくるけど「23」はなんか嫌、とか。
「12」はOK、「13」もOK、「11」はなんか嫌。
何かスーッとするというか、安心する数字。
僕の身長でいうと、「183」も「181」も、なにかしっくりこない。
「182」がいいのだ。

また話がそれてしまったけれど、高身長あるあるに戻ろう。
子どもの時に背が高いと、年上にみられることがある。
中学3年生15歳のとき、たしか友だちたちとボーリングに行った。
そのとき、隣のレーンに来ていたおねえさんに「大学生ですか?」と言われた覚えがある。
それからその時の年齢と同じ15年が経ち30歳になったとき、バイト先で「大学生ですか?」とも言われた。
15年間成長しなかったようだ。

背が高いと、迫力があって怖がられることがある。
僕が少しやさぐれて目つきが悪くなり「顔面凶器」と呼ばれていたころ、いやその前から、僕は一度も不良などに絡まれた事が無い。
そこそこ治安が悪いエリアでもだ。
海外旅行とかも「こんなデカいおっさんわざわざ狙わないでしょ」とあまり気にせず行けるのは大きな利点。いや、そこは気にしたほうがいいけども。
20代の頃バイト先の女の子に「プロレスラーみたいで迫力ある」と言われ、やはり自分の中の自画像と外部の評価が異なり、ショックを受けたこともあった。

背が高いだけで、「運動が出来そう」と決めつけるのはやめて欲しい。
僕はすくすく育ってしまっただけで、運動は大の苦手だ。
むしろ天敵だったと言える。
体育の授業は最も憂鬱な時間のひとつだった。
それなのに、高校に入学してすぐの部活のオリエンテーションとかで、大いに勧誘された。
もし体験入部でもしようものなら、一瞬のうちに失望の渦が吹き荒れることは間違いがないのに。
仕事ではじめましての人と話しても、整形外科とかに行っても、「スポーツやってました?」と言われ、なにもやっていないというと「もったいない」と言われる。
お約束のやりとりだ。
いや、整形外科の先生は診断と治療のために聞いているだけ、というのはあとで気づいたけど。
むしろ「若いとき激しいスポーツやっていたら、こんなものじゃなくもっとひどくなってましたよ」と言われ、何かに勝った良い気分になった。
陰キャで正しかったのだ。

スポーツをしていなくても、長身は腰痛に悩まされる。
腰という支点から頭という重りへの距離が長ければ長いほど、腰へのダメージが強い。
同じように各椎間板にも、首の骨にも、ダメージが大きい。
腰痛はいつも注意しているし、このたび頸椎椎間板ヘルニアを診断された。
長身という物理的特性だけではなく、猫背、ちょっと頭をかがめることが多い、というのも、頸椎にも腰にもよくない。
世の中にある多くの設備は、長身に合わせては出来ていない。
昭和の民家なら頭をぶつけまくりだ。
長身はどうしても姿勢が悪くなってしまうことが多いのだ。
生活全般が頸椎や腰へのいじめとなってしまうのが、長身なのだろう。
今後は十分気をつけて生活しよう。
頑張って背や頭を低くしようとするのは、もうやめよう。できるだけ。

背が高い、いや、より正確に言うと座高が高いと、映画館とかコンサートでも気をつかってしまう。
指定席なら、出来るだけ後ろに座席がないところを選ぶ。
ピッっと姿勢良く背筋を伸ばすと、後ろの人はまずステージが見えない。スクリーンが見えない。
ずっと僕の後頭部を見続けるはめになるのだ。
そんなに素敵な後頭部はしていないので、後ろに人がいる席になってしまうと、僕はずっと後ろが気になってしまい、身をかがめる。
頸椎にも悪そうだ。
これからは、身を縮めるのではなく、横に傾こうか。

座高が高いと言えば、レントゲンとかの高さ調整、証明写真とかの椅子の高さ調整とかも面倒だ。証明写真の椅子なんてグルングルン何回も回さないとだめだし、限界まで回しきっても、まだ椅子が合わずに身を縮めることもある。

一方、立ち見の美術館は最高だ。
ビバ、長身!
大変混雑している展覧会でも、下々の者の頭越しに後ろからでも作品を見ることが可能だ。
歳を取って目が悪くなってしまいこの特技が使えなくなったときは、「展覧会とはこんなにも見にくい、他人が邪魔なものだったのか」と新たな発見をし、妻に後押しされ眼鏡を作った。
眼鏡は最高だ。
また後ろのお高いところから、作品と背高くない族の皆様を見下ろすことができるようになった。

見下ろすと言えば、大きなメリットを感じるのが満員電車だ。
満員電車であっても、我々背が高い族の民は、美味しい空気を吸っている。
たまに背が低い族の女子とかが満員電車でもみくちゃにされているのをみると、おじさんの身体に顔がほぼくっついたりしている。
あんなの拷問に等しい。
かわいそうに。
空気もすごい悪そうだ。
彼女らには申し訳ないけれど、背が高くて良かったと心から思うひとときだ。

逆に、高速バスや飛行機のエコノミークラスでは、小さい族の方々が心底羨ましくなる。
同じお値段なのに、なんて快適そうなのだろう。
こちらは身体を縮こめて、なんとか自分のエリアからはみ出ないように努力をしているのに。
特に格安高速バス。
京都通いをしていたときは、数回だけ高速バスを利用した。
お金がもったいないから、一番安い席で、もちろん自分のエリアが小さい、狭い。
若かったらからよかったけど、今やったらたぶん健康被害が出てしまい、到着しても観光どころではないだろう。

さて、観光と言えば、街中にいる背が高い族だ。
とても目立ってしまうがゆえに、待ち合わせ場所になってしまう。
駅前で僕が人を待って突っ立っていると、横で小さい族の女子が誰かと電話をしている。
どうやら待ち合わせ相手と電話中のようだ
「ここ!背が高いおじさんの横!」
聞こえています。
もちろん自分の待ち合わせ相手は、僕を探す必要もなくすぐ見つけることが可能だ。

街中の高身長あるあるをもうひとつ。
雨の日の傘。
あれがとても怖い。
平均的身長の女性が傘を差して歩いていると、傘の露先 ーー開いたとき8本くらいある骨の先端だーー がちょうど僕らの目の位置に来るのだ。
しかもこちらの傘はもっと高い位置にあるから、相手の傘はこちらのスペースまで入ってくる。
すれ違うときはお互いに気を使うけど、同じ方向に歩くときは要注意。
できるだけ距離を取って歩く必要がある。

そして、街中高身長あるあるのうち、背高い部族の方々が皆あるあるしてくれるであろうシチュエーションがある。
それは、前方から同部族の人間が歩いてきたときだ。
もちろんお互いに目など合わせない。
無関心を装う。
しかしながら、半ば強制的に、無意識のうちに、「ひとり背比べ」をしてしまう。
前方からこっちに向かってくるの発見すると、しゅるしゅるっとバレない程度の速度で背筋が伸び、まるで今まさに身長を測っているかのように、ピンと出来るだけ高くするのだ。
そしていよいよランデブーポイントにさしかかると、横目で確認。
「デカっ!」
「いや、ギリ負けかな」
となったり
「ふっ、勝ったな」
となったり、心の中が忙しくなる瞬間だ。

背が高いとなると、気になるのはファッションだ。
長身=かっこいい、では決して無いし、おしゃれかどうかもまったく関係ない。
洋服屋さんで服を探すとき、まず見るのはサイズだ。
デザインがよくても、サイズがないことのほうが多い。
気に入っていたブランドも、いつしかサイズのラインナップを縮小してしまい、僕に合うサイズがなくなってしまったこともある。
悲しい出来事だった。
既製品のサイズだと僕はまだましな方で、ギリギリだと思う。
180代後半以上の人は、ほとんど合う服がないんじゃないだろうか。
サイズだけじゃなくて体型も問題がある。
痩せ型かつ腕が少し長いので、腕に合うサイズを買うと身体がブカブカ、逆に身体に合わせると、袖が短すぎる。
スーツやドレスシャツは、オーダーでサイズを合わせてもらうしかないのだ。
僕のサイズでギリギリなのは、布団やベッドもそうだろう。
最弱の僕でさえ、頭まで布団を被って布団にもぐり込むと、足がでてしまう。
平均身長が僕より高いオランダの寝具はどうなっているんだろう。
世界は広い。

10年くらい前、渋谷にある高層ビルのエレベーターに同僚と2人で乗ったとき、後からエレベーターが満員になるくらいの女性達が乗ってきたことがある。
みな僕と同じか僕より高い!
そしてさらに高いヒールを履き、みんな細長い!
何やら皆さんタスキを斜めがけして、「JAPAN」とか「COLUMBIA」とか書いてある。
ミス・インターナショナル各国代表の皆様方!
背高い部族最弱のくせにイキってた僕が、背高い部族世界最強女性たちに囲まれる。
世界はとっても広かった。

(『ミス・インターナショナル各国代表が「渋谷の街」ツアーを開催』渋谷文化プロジェクト)

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