仏像好き製造所
僕がチーム「都のかほり」を結成して、都のかほりを過呼吸気味に深呼吸して吸いまくっていたころ、はじめて参加する人は必ず連れて行く場所があった。
そこで何かを感じ取れれば、仏像にハマる素質がある。
そこで何も感じなければ、少なくとも現状では素質なし。
僕も中学の修学旅行でそこに行ったはずなんだけど、なんとなくおぼろげに行ったかも?と思い出す程度で、なにも感じなかった。
でも京都にハマってから行ったら、なかなかによろしい。
一番好きな場所ではないけれど。
それが、京都の「三十三間堂」。
本名は「蓮華王院本堂」だけど、桁行が三十三間あるから通称三十三間堂。
1間というのは、柱と柱の間のこと。
三十三間堂は、お堂の柱と柱の間が33個あって、庇も入れたら三十五間。
とっても細長くて、120メートルくらいあるとても特殊な建物。
歴史も古くて、洛中にある建物では二番目に古い。ちなみに一番古いのは千本釈迦堂(大報恩寺)。
三十三間堂の本堂も国宝に指定されているけど、お堂の中の仏像群も国宝だらけ。
長いお堂には人間サイズの「1000体の千手観音立像」(全部まとめてひとつの国宝)が立ち並ぶ。
真ん中にはご本尊の大きな「千手観音坐像」(国宝)。こちらは丈六仏という身長1丈6尺(約4.85m)の仏さんの実寸サイズ。穏やかなお顔でなかなか素晴らしい。
細長いお堂の両サイドには「風神雷神像」(2体でひとつの国宝)。誰でも一度は見たことがあるだろう俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のモデルとなった仏像で、当たり前だけど絵によく似ている。
そして、1000体立ち並ぶ最前列、お客さんの一番近くにいるのが、「二十八部衆像」(28体でひとつの国宝)。千手観音の眷属28尊をかたどった人間サイズの仏像。四天王や八部衆、金剛力士、帝釈天、梵天、弁財天など、聞いたことがあるものもいれば、婆藪仙(ばすせん)のようなレアなのもいる。
ひとつのお堂にこれだけの国宝仏が安置されているのは、京都東寺講堂の立体曼荼羅や、奈良東大寺三月堂などしかなく、とても珍しい。
しかもそのお堂が、現在も法要や朝のお勤めが常におこなわれ、観光客のほかに信徒もお参りにくる信仰の場でもある。
薄暗い堂内とお香の香り、朝など時間があえば響くお経の声。そして薄く照らされる仏像。美術館や博物館では味わえない、本来の場所ならではの体験がある。
1000体の千手観音はほぼほぼクローンみたいなものだから1種類としても、これだけいろいろな国宝の仏像を現役かつ国宝のお堂の中でみれるここで、好みの種類の仏像がみつかることが多い。
しかも京都駅から徒歩20分という好立地。
誰かを仏像好きにしたかったら、ここに連れてきてBefore Afterを確認しよう。
ちょっといいかも?程度なら、次は京都広隆寺の弥勒菩薩と、東寺の立体曼荼羅へ。
次の日に奈良に移動して、興福寺国宝館と、東大寺法華堂に連れて行って、なにも感じなければ素質なし。これで日本の有名仏像の7〜8割くらいは見たことになるから。
京都京都言われるけれど、
「仏像」みるなら京都が3:奈良が7、
「古建築」は京都0.5:奈良9.5、
「お庭」は京都9:奈良1、
くらいかな。
20年弱前に「仏像ガール」「アシュラー」などと言われる仏像ブームの火付け役になったのが、興福寺に安置される「阿修羅像」。
「都のかほり」主要メンバーのギター君も一押しの仏像だった。
麻布を漆で塗り固めて作る乾漆造(かんしつづくり)でしか出せない柔らかい雰囲気。
少年のようなアンニュイな表情。
奈良時代に作られた仏像で、八部衆のなかの1体。残りの7体も一部破損や胸から上のみもあるけど現存していて、出張していなければ国宝館で常時見ることができる。でもお堂の中ではないから、雰囲気はやっぱりいまひとつ。最高のコンディションで後生に伝えるにはこういう場所で保管するのが一番良いんだけどね。
最も有名な仏像のひとつと言えば、京都広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」。釈迦如来の次に如来になることが決まっている弥勒菩薩が、椅子に座りどうやって人々を救おうかと首をかしげて考えている姿で、飛鳥時代の作。
弥勒菩薩は56億7千万年後に弥勒如来となって現れるとされているんだけど、そのころ科学的には太陽が膨張して地球はもうなくなってる。今の世界を救うのが釈迦で、地球が滅んだ後の次の世界を掬うのが弥勒、という信仰もあるらしい。
信仰空間にある仏像で、僕が一番感動したのは大阪藤井寺市にある葛井寺(ふじいでら)の「十一面千手千眼観音菩薩坐像」。
一見どこの町にもある普通の近所のお寺さん。
でもここの本堂の中に、手が本当に千本ある(正確には後ろに孔雀のように広がる1001本の小手と、正面で合掌する2本の手を合わせた大手の40本で1041本)日本でも珍しい千手観音さんがいる。1300年前に作られた仏像で、もちろん国宝指定。
仏像としても素晴らしいクオリティで見る価値が高いんだけど、ここでは仏像を美術品や鑑賞物としてではなく、現役で信仰の対象としている。ガラスケースではなく本堂の厨子の中に安置され、毎月1日だけ厨子の扉が開き、お顔をみることができる。
僕も何回かお参りしたことがあるけど、あるとき、僕がしげしげと厨子の中を見つめている横に、2人の女性がやってきた。1人は妊婦さんで、もう1人はおそらくそのお母さん。2人は一生懸命に千手観音さんに祈りを捧げていた。僕は真横でそれを見ながら、涙が出てきた。きっとこの麻布と漆で作られた仏像は、奈良時代から1300年の永きにわたり、こうやって人々の真摯な思いを受け止めてきたのだろう。ものすごい重みを感じだ。
何年も後、この千手観音さんが東京国立博物館に出張されたときに再会した。でも信仰の場にあるいつもの姿で見たときに感じたあの重みは感じることができなかった。間近でしっかりと見ることはできたので、美術品として、鑑賞目的としては、最高のシチュエーションだったけど。
僕が一番多く見た仏像といえば、奈良東大寺法華堂(三月堂)の「不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)」。
安置されている仏堂自体も国宝で、半分が奈良時代、もう半分が鎌倉時代に作られた珍しいお堂。この小さなお堂の中に、不空羂索観音を中心として梵天・帝釈天、金剛力士、四天王像が配置され、裏側の厨子の中には年に1回だけ公開される執金剛神立像が安置されている。
この不空羂索観音立像も麻布と漆で作られていて奈良時代の作。目が3つあって、3つめの目は額に縦に入っている。手が8本。真ん中で合掌した両手の間には、宝珠(丸い水晶の玉)が挟まれている。頭にいただく冠は銀製で、翡翠や琥珀などの宝石が多くあしらわれ、中心には非常に珍しい銀製の仏像がおさめられている。
ここも小さなお堂の中に多くの仏像が安置されていて、薄暗いお堂とお香の香りのなかで、仏像と向き合うことができる。観光客もそれほど多くなく、たまに入ってきても数分で出ていくので、貸し切りみたいな感じで落ち着いていられる。仏像たちと向かい合うように台があり畳が敷かれていて、僕はそこに座って30分でも1時間でもぼーっとするのが好きだった。
奈良に行ったときには必ずここに寄ってぼーっとする。京都に行ったときでも、このためだけに奈良に行ったりもした。チーム都のかほりのメンバーと3日くらい連続で行ったときには、お坊さんに覚えられていたのか、たまたまだったのかわからないけど、お坊さんが立派な懐中電灯を持ってあらわれ、僕たちに特別に解説をしてくれた。お堂は薄暗いので、普段は額の目も、手の間の宝珠も、銀の冠も、正直よく見えない。このときは懐中電灯で照らしながら解説してくれたので、はじめてはっきりと見ることができ、貴重な経験ができた。
美術や歴史としては解説してもらうのがとてもいいけど、やっぱり普段の静かなお堂の中に座り、じっと向き合うのが一番いい。お堂にぽつんとひとりでたたずみ不空羂索観音と向き合っているとき、僕はたぶん自分の心と向き合っているのだろう。
僕が寺社仏閣巡り、仏像巡りをよくしていたとき、考えていたことがある。
仏像をみていると、都のかほりのメンバーはよく「やばい」「オーラやばい」と言っていた。語彙力が下がるのか、なぜか「やばい」を連発していた。
「オーラってあるのか?」
例えば広隆寺の弥勒菩薩。
本物と精巧なレプリカをガラスケースに入れて並べて置いたら、どっちが本物かわかるのだろうか。匂いとかなんか粒子が舞っているかもしれないから、ガラスケースに入れる。見た目はまったく一緒。この状態で、一般人や専門家やお坊さんたちを集めて「どっちが本物だ」とアンケートを取って、有意に本物のほうに票が多く集まれば、オーラがあるんじゃないか、とそんな実験をしてみたいなと妄想していた。
でも、そんなことをしなくても答えは出ている。
葛井寺の千手観音さんのように、お堂の修理とかいろいろな理由で、仏像はたまに出張する。そのときは、いつもの場所じゃなく博物館とかで見ることができる。
そうすると、やっぱり本来の信仰空間にあるときとは違って、見ても涙は出てこないし、僕は僕の心の中に旅立たないから。
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