アパート暮らし

僕が東京で初めてひとり暮らしをした時に住んだのは、僕と同じくらいの年齢のアパートだった。

誰が見てもボロアパートだと形容するような、昔ながらの2階建て木造アパート。
この時まだ築30年くらいだから、いうほどボロくはない。
でも、これぞ昭和のアパートといった感じで、なかなかにいい雰囲気だった。
お名前も由緒正しく、〇〇荘。
お家賃は6万円弱。
お部屋は1階と2階にそれぞれ3部屋。
僕は1階の道路側の部屋を借りた。
1畳くらいの小さなお庭も付いていて、物干し台と縁台もある。
間取りは1DKで、約22平米。
6畳の居室と、同じくらいのキッチン。
男のひとり暮らしには十分のサイズ。
洗濯機は外の廊下部分に置き、後で買った茶色いママチャリもそこに置いた。
まさに昭和のお話に出てくるような、愛すべきボロアパート暮らしが始まった。

アパートの場所は、杉並区の南阿佐ヶ谷駅と浜田山駅の間くらい。
浜田山は徒歩15分くらいだったか、ちょっと遠い。
南阿佐ヶ谷は徒歩20分くらいで、もうちょっと遠い。
高円寺で働くことが決まってたから、駅の近さはあまり気にしなかった。
その仕事はすぐに辞めてしまったので、もう少し駅近にすればよかったと後で思ったけど。
一番の決め手は、自然が豊かなこと。
アパートを出るとすぐに善福寺川が流れていて、川沿いがずっと遊歩道のようになっており、途中に大きな公園や池もある。
少し川沿いを歩けば、桜の名所で有名なところもあり、春になると満開の桜を楽しめた。
善福寺川は、あの神田川の源流のひとつ。
善福寺公園にある善福寺池にそそぐ湧き水を源流として、神田川につながる。
自然と触れられることは、外せない条件だった。

思ったとおり、このあたりは自然豊かだった。
夜中に川沿いを歩いていて、2回ほどタヌキに遭遇したことがある。
小石川後楽園の近くと、新宿御苑でもタヌキに遭遇した。
僻地に引っ越した今は、裏山に家族のタヌキたちが住んでいるけれど、彼らは大都会にも住んでいたのだ。
遊歩道に蝉の声が響きわたる季節が訪れ、夕方陽が落ちた頃、暗くなった空をふと見上げると、明らかに小鳥ではない、でも複雑な挙動でかなり速い物体が、無数に飛び回る。小さなコウモリたちだ。はじめて見たときはとても驚いたけど、なかなかに悪くない光景だ。
川沿いの遊歩道では、黒くテラテラと光る細長い20cmくらいのナメクジのような生き物、コウガイビルをみかけることもある。

川の近くには和田堀池という名の小さな池があって、池の中に丸太の杭がささっている。池の外では、バズーカみたいなカメラを構えたおじさんたちが、この杭にカメラを向けている。カワセミが来るのだ。肉眼でも十分に見える距離に、翡翠色の飛ぶ宝石とも呼ばれる小鳥がいる。兄が野鳥の会に入っていたので、カワセミの写真とかは見たことあったけど、本物はこのとき初めてかもしれない。次第に僕にとっては、見慣れた鳥となった。
この池には水鳥も浮かび、冬になるとキンクロハジロやカモも訪れ、秋には赤とんぼも飛ぶ。サギ、シジュウカラ、ツグミ、いろいろな野鳥を見ることができた。

池の近くには運動公園のグラウンドがあって、夜中に訪れると誰もいない。意味もなく陸上トラックを全力で走ってみた。なかなかに気持ちがいい。
ここに住み始めて数ヶ月たった頃、僕は高円寺でやっていた仕事が嫌で嫌でしょうがなくなっていた。なんだか鬱々とした気持ちが晴れず、夜中に川沿いをお散歩していた僕は、何を思ったのかいきなり走り出した。その時はまだ、源流の善福寺池に行ったことがなく、この川沿いをずっと走るとどこまで行くのか知らなかったから、走り出してから行けるとこまで行ってみようと思ったのだ。
ランニングシューズではない薄っぺらいスニーカーと普段着で、ずっと川沿いを走る。途中かなり道幅が細くなるところもあるし、川の護岸もまわりもコンクリートだらけの場所も通る。荻窪駅の近くでは、環状八号線を横断しないといけない。環八を越えてコンクリートとアスファルトの細い道をしばらく走ると、再び緑が見えてくる。善福寺池のある善福寺公園だ。
善福寺公園は何度か来たことがあったけど、アパートから徒歩や走って来たのは初めて。湖畔のベンチでしばらくゆっくりして、来た道をまた走って帰る。
往復およそ10km。
ペラペラ靴だった僕は、当たり前のように足が痛くなり、アパートに帰った時にぐったりして満身創痍だった。でも心はとても晴れやかで、31歳にしてはじめて、身体を動かし汗をかく気持ちよさを深く感じていた。
なんでも形から入る僕は、この数日後に新宿のスポーツ用品店でランニングシューズを買い、あのルートを何回も往復するようになった。

和田堀池のベンチでよくぼんやりしていた僕の膝の上は、たまに野良猫の寝床になった。僕がベンチに座ると大きな茶トラ猫がやってきてスリスリ。当たり前のように膝上にあがってきて、そのまま寝る。
また違う猫は、たまに僕のアパートにやってきた。僕が帰宅してアパートのドアまで行くと、「なーぉ」と言いながらどこからか走ってきて、ドアの前にちょこんと座っている。「初対面ですよね?」と聞くも「なぁーぉ」と答えるその猫は、僕がドアを開けるとスルッと当然のように家にあがり、探検を始めた。そして、探検が終わるとベッドの上で眠り始める。
4年間住んでいても数えるほどしかない僕のアパートへの来客のうち、半分くらいはこの子だった。

数少ない来客のいくつかは、アパート大家のおばあちゃんだ。
といっても部屋の中には入らず、庭のほうから声を掛けてくる。
おそらく80くらいのおばあちゃんで、アパートの前の小さな場所で家庭菜園をしていて、ゴーヤとモロヘイヤを育てていた。沖縄の方だったのだろうか。
そして毎年、ゴーヤ数本と、コンビニのビニール袋パンパンに詰まった深緑色の葉っぱ、モロヘイヤを僕にくれたんだ。
ゴーヤもモロヘイヤも食べ慣れない僕は(「食べ付けない」という言い方は妻から聞いて初めて知った)、せっかくの頂き物の処理を実家に任せることにして、夏になりおばあちゃんが菜園の成果物をくれると、実家に帰るのが恒例となった。
おばあちゃんはたまにしばらく見かけなくなることがあって、久しぶりにお会いすると「入院していた」ということが何度かあった。
もちろんコミュ障の僕はほとんどしゃべらず、おばあちゃんが話すのを聞いているだけだ。

アパートに引っ越して3年半が過ぎた頃、東日本大震災があった。
その日虎ノ門あたりで働いていた僕は、徒歩帰宅が可能な距離であることに感謝して歩いてアパートへと帰りながら、「アパート潰れてないかな」と本気で心配していた。
3時間と少し歩いて無事なアパートの姿を見たときは、心底ほっとしたものだ。
しばらく余震が多い日々が続いた。
このボロアパートは、揺れる前にわかるのだ。
ギシッギシッと、アパート全体が鳴き始め、数秒すると揺れ出す。
やはりちょっと、怖かった。

その後の初夏、またおばあちゃんが訪れて、「2階の人からクレームが来ている」と告げる。
どうやら朝か大きな音で音楽を聴いていてうるさい、という内容らしい。
でも僕は音楽を聴く習慣がないし、100%間違いなく僕じゃない。
それに僕にはまったくそんな音は聞こえていないし、なにも知らない。
おばあちゃんも首をかしげながら帰って行った。
そんなことが3回くらいあった。

秋にはアパート契約の更新だ。
余震が怖かったのと、2階の住人が怖かったこと。
結局2階にはどんな人が住んでいるのかもわからなかったけど、もしかしたら、僕には聞こえない何かが聞こえる方だったのかもしれない、とも思っていた。
さらに、駅が少し遠くて、どこかに出かけるフットワークが重くなっていることも感じていた。
展覧会行こうかな、カフェ行こうかな、と思っても、ちょっと駅が遠くて面倒くさい、と思うことがあったから。
少し収入も増えていた僕は、引っ越すことを決めた。
そのことを不動産会社に言った後、たまたまおばあちゃんの息子さんに会った。
何回かおばあちゃんと一緒にいるところを通りがかり、挨拶だけはしたことがある。
息子さんは、次の店子がすぐ見つかるわけではなくて残念、とのことで、理由を聞かれた僕は「余震が怖い」とだけを伝えた。

結局引っ越しの日まで、再度おばあちゃんに会うことはなかった。
また入院していたのだろうか。
実は僕が引っ越しを決めたもうひとつの理由は、おばあちゃんだった。
もしかしたらおばあちゃんはもう長くないのかもしれないな、と不謹慎にも感じていた僕は、おばあちゃんが亡くなった、ということを聞きたくなかったのだ。
引っ越してしまえば、もう関係ない。
おばあちゃんのその後を、僕が知ることはない。
いつかその日が訪れて、少し悲しい思いをすることから、僕は逃げたのだ。
今もゴーヤとモロヘイヤをみると、おばあちゃんとあのアパートのことを思い出す。




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