ブラック企業体験記

20代をほぼフリーターとして過ごした僕は、31歳で上京するもまだフリーターを続けていた。

上京してから2年、歳だけ重ねても相変わらず仕事が長続きせず、僕は今更ながらに、将来への不安が強まっていた。
正社員として働きたい。
33歳になっていて今さら新しいことに挑戦する勇気もなく、ある程度やっていたWEBの仕事で職探しをすることにした。
求人サイト等で探すも折り合いが付かず、なんとか採用された笹塚にあった制作会社は3日で辞めてしまった。なんだか雰囲気がとても暗くて、仕事内容も医療系のサイトに特化していて、興味も持てなかった。なにより人が合わないのがすぐにわかってしまったから。
そしてとうとう僕は、ハロワで職を探すことにした。
ハロワに求人を出しているWEB制作会社の悪い噂は聞いていた。
ハロワ求人は民間とは違い費用が掛からない。
一番重要とも言える人材採用にさえ費用を掛けない会社。
民間のエージェント等に相手にされない会社。
民間の審査に通らないブラックな会社。
虚偽申告などなど。
もちろんまともな会社や求人だって多いだろうけど、そういう噂はネットにいくらでも転がっていた。
なぜか「なんでもいいから正社員にならねば!」と強迫観念のように追い込まれていた僕は、結局ハロワで次の職場を見つけた。
虎ノ門という立派な場所にある会社で、HTMLコーダーのお仕事。
ビジネスマナーなんてまともにやったことがないし、冠婚葬祭含め一般常識も当たり前のマナーも知らない。
僕はマナーや一般常識の本を買いあさり、杉並のボロアパートでひとり脳内シミュレーションを重ねた後、初出社日を迎えた。


自転車通勤を予定していたけど、初日は電車で出社した。
駅から徒歩数分の雑居ビルの3Fの1フロアの小さなワンルームオフィス。
社員は僕を含めて8名だけのとても小さな会社。
内訳はこうだ。

・社長:50代くらい?の細身な眼鏡のおじさま。経営コンサルがメインのお仕事。
・秘書:40代後半くらいの女性。こんな小さな会社で秘書?何をしているのかよくわからなかった。
・ディレクター?:アラフォー女性。ディレクターってより営業?ちょっときつい感じ。
・事務?:アラフォー女性。穏やか。
・先輩デザイナー:アラフォー男性。グラフィックデザインメイン。長髪。
・新人デザイナー:20代男性。とても若いのに所帯持ちでお子さんあり。ハキハキしてて明るい。
・先輩コーダー:僕と同じ歳。この会社で10年やっている先輩。
・コーダー(僕)


基本的なお仕事はホームページの制作と運用。
社長と秘書はそっちの業務ではなく、経営コンサルの仕事を担当していた。
とある業界に特化した経営コンサルさんらしく、そっちで稼いだ利益でホームページ部門の赤字を補填するという自転車操業状態だったようだ。
この会社の皆さんは、バイトでしかWEB制作をやっていなかった自分でも、「え?スキル低すぎない?」とびっくりしたくらい。

先輩コーダーはキャリア10年以上だったけど、当時の僕よりはるかにスキルが低くて、経験年数って関係ないんだな、と勉強になった。
毎日同じようなことを同じようにしかやっていなかったら、自分のスキルアップを頑張らなかったら、まったく成長しないのは当たり前。しかも日進月歩で技術が進化する業界だから、明日は我が身。
ただこの先輩はもう辞めることが決まっていて、僕は交代要員だった。この職種も辞めて田舎に帰るらしいので、好きじゃないしスキルアップとか頑張れない仕事を10年頑張ってきたのかな、と思った。
仕事以外ではとてもいい人で、ちょっとふっくらとしていて、自転車通勤でいつも汗だくで会社に来ていた。

先輩デザイナーはいわゆる意識高い系。
「意識高い」じゃなくて「意識高い系」。
当時発売されたばかりだった初代iPadを嬉しそうに自慢していた。
当時印刷物出身のデザイナーによくあった、WEBの特性がわからないままWEBデザインをして、それがWEBでどうなるのかも理解しなくて、それでもプライドが高くて…というたぶん当時いろんなところにいたデザイナーさんのひとり。
ネチッとしていて、仕事以外ではまったく話さなかった。

新人デザイナーさんは坊主頭で20代前半。
とても元気よくハキハキとしていて、仕事にも真面目で、「君こんなとこじゃなくてもっといいとこ行けば」と何度思ったことか。もったいない。

そして女性3人衆は、なぜか社長に心酔していた。
「お父さん(社長のこと)頑張ってるんだから!」みたいなことをよく言っていた。
ディレクターをやっている人も、WEBってなに?程度の知識で、ほぼ営業。
ディレクター不在のWEB制作会社。
うぬぼれでもなんでもなく、おそらくコーディングはもちろん、WEBディレクションもWEBデザインも僕の方がスキル高かった。
これでも仕事としてやっていけるんだなぁと感心した次第。
顧客の多くは社長がコンサルした会社で、そのままホームページも受注。
社長はコンサルだけあってお客さんとのコミュニケーションも上手で、付き合いが古い顧客が多い。
社長ひとりで持っているような会社だった。
コミュ障の僕はもちろん誰とも仲良くならなかった。

あるとき、お客さんとのミーティングに往訪でディレクターさんと出かけた帰り、駅まで歩く途中でなぜか勝手に雑談を始めるディレクターさん。
「あ、はい」
「はぁ」
「そぅすね」
くらいしか返事をしない僕にどんどんしゃべる。
何か知り合いの旅行土産で海苔をもらったらしく「今時海苔なんて食べないよね」と勝手に決めつける。
「あ、はい」と答えながらも僕の頭の中では、
「毎日食べてるけど僕は異端だった…?ストック切らさないように買ってるけど…」
と困惑。
あの人たちとの雑談で覚えている内容はこれだけ。
きっと、大好きな海苔君をいらない人呼ばわりされてショックだったのだろう。


さて、導入に紙幅を割いてしまったけれど、ブラック企業体験記というからには、ブラックなエピソードをご紹介しよう。

業務時間は、9時から18時。
休みはカレンダー通り。
有給あり。
が名目上で、ハロワの求人にかかれていた内容。

実際は、
毎朝朝礼が8:45分から。もちろん早出残業は付かないし、9時に出社だと遅刻扱い。
終業は早くて21時。遅ければてっぺん(0時)を超える。
もちろん残業代は付かないサービス残業だ。
休日出勤あり。もちろん手当どころか日当も出ない。
一度土曜日に御殿場まで出張し丸1日潰れたときも、次の給与明細を見て驚愕。
なにも付いていない。信じられず確認するも「え?」とむしろお前何言ってんの?的なこっちが驚愕してますけど、な感じ。
どれだけ残業しようが休日出勤しようが、毎月のお給料は変わらず固定で額面25万円。
みなし残業のような建前だけの決まりすらない。
6ヶ月以上働いても有給の話はまったくなかった。
今時(2010年当時)こんな会社あるんだ!と驚愕しながらも、お金稼がなきゃだし、正社員として頑張らないとだし、と思ってすぐには辞めなかった。
これが正社員なのだ、という一般常識の欠如も、すぐには辞めなかった理由のひとつだったと思う。


そしてなぜか、女性3人衆と先輩デザイナーは社長に心酔しており、このようなブラック環境になんの疑問も抱いていないようだった。
社長が「いつも遅くまで悪いな」と言いながら夜食用のカップ麺を箱買いしてくると、「なんて気遣いのできる素晴らしい社長なんでしょう!」って本気で思ってそうな。
僕はひとり内心で
「え?気遣うとこ違うよね?遅くまで働かなくていいようにするのが経営者では?どうしてもそうなってしまうなら、カップ麺(1食100円)ではなくて残業代をきちんと払うべきでは?」
と至極当然のはず?の疑問を抱き、でもなんだかアウェー感強すぎて誰にも言えなかった。僕が間違ってる?あれ、僕は何か宗教にでも入ったのかな?と本気で悩んだ。
新人デザイナーさんと先輩コーダーさんがどう思っていたのかは不明。コミュニケーション取ってないし。


ブラックエピソード「飲み会」。
アットホームな職場を売りにするブラック企業の必須行事と言えば「飲み会」。
もちろん強制参加。
普段は0時まで残業してるのに、業務よりもこちらが優先。
何回も強制連行されたのに、ほぼ何も覚えていない。よほど何もなかったのだろう。
次に「誕生日」。
誕生日の社員にはなぜか誕生日プレゼントが渡される。
そんなの誰も望んでいない、と思ってるのは僕だけなのだろうか。
社員に誕生日プレゼントって、つまり他の社員に誕生日が公表されるということで、個人情報の目的外利用。アウトだ。「Pマーク!Pマーク!」ってうるさかったくせに、社員のプライバシーには無頓着。コンプラ意識が低い。
コンプライアンスと言えば、この会社はAdobeの割れソフトを使っていた。
WEB制作なのでAdobeソフトは必需品。
当時はサブスクではなく買い切り。
先輩コーダーがドヤ顔で入れてくれたらしい。
入社してしばらくしてそれに気づいた僕は、これはさすがにダメでしょ?と抗議した。
違法ソフトなんて使いたくない。
デザインやクリエイティブで食ってるのに、他人・他社の成果物を尊重せず違法に利用するとかどうかしてる。
改善がみられないので「不正利用報告窓口に通報しますね」と、空気も読めない僕は針のむしろになりながらも通告すると、やっと正規ソフトを購入。ただし、1アカウントで1ユーザーが2台までインストール可能という点を無視し、1アカウントで2ユーザーの端末にインストール。
僕はあきれ果て、もういいやと辞める方向に一気に気持ちが傾いた。
他にも行事があって、月2回くらいだったか、水曜の定時後には最寄りの学校の体育館を借りてみんなでバスケ。
?????
まったく理解できなかった。
最初一回だけわけもわからず連れて行かれ、以降は断固拒否した。
そして最後に極めつけの行事。
「社長の息子のライブにみんなで応援に行こう!」行事。
社長の息子が大学生でバンドを組んでいて、ライブをやるとなると社員全員強制参加。
どんなに業務が忙しくても、普段0時過ぎまで残業してても、ライブ優先。
チケット代ももちろん徴収。
若いときに少しだけバンドをしていた僕だけど、音楽ジャンルも違うしクオリティも低いし、苦痛でしかなかった。
このエッセイを書くためにこの会社を検索したら、今はこの息子君が社長になっていた…。


薄々気づいていたけれど、この会社は火の車の自転車操業状態だった。
WEB部門の赤字を社長のコンサルでなんとか補填。
しかもそのコンサル内容は経営コンサル。
自分の会社が違法しまくりながらも火の車なのに、他人の会社の何をコンサルしてるんだろうって不思議だった。
「労働法なんて守らなくても構いません」
「従業員は使い倒しましょう」
「Adobe等他社の利益や権利なんてどうでもいいです」
って経営コンサルしてるんだろうか。
まず自社のコンサルして建て直せよって思っていた。
よく聞くブラック企業のエピソードでこの会社に欠けていたのは、パワハラ上司がいなかった ことくらいかな。
もしいたら1ヶ月持たなかっただろうけど。
そして僕は、当然のように辞めることを決意した。
最後に社長からお茶のお誘い。
なんで辞めるのか聞きたかったらしい。
僕は正直に全部話した。
だけどたぶん社長には何も伝わっていなかった。
こうして、10ヶ月弱の正社員&ブラック企業体験が終了した。

不思議なことに、仕事や会社ということを除けば、社長も皆さんもとてもいい人だった。
社長はいつもニコニコしていて、身だしなみもきちんとして態度も紳士的で、悪い人ではない。
ブラック薄給で社員を使い潰す経営者がいい人なはずがないんだけど、なぜかそうなのだ。
僕も社長は嫌いではなかった。
ただ、数年後僕は東麻布に引っ越し、朝遅めに三田の図書館に向かうと、社長の通勤ルートを逆走する状態だったらしく、たまにすれ違った。
もちろん僕は顔を背け、一度もエンカウントしないようにした。
先に敵(不意に遭遇する知人)を見つけることができるコミュ障の特性にはいつも助けられている。


そして僕は派遣社員になり、派遣先の契約社員になり、フリーランスになり今に至る。
その後正社員にはなることはなかった。
高卒フリーターでプラプラしてきた僕がまともな会社に入れるわけない。
どう頑張っても入れるのは零細ブラック企業だ。
それに、コミュ障ですぐに辞めてしまう僕がそこで働き続けることなんて不可能だろう。
現実を知った僕は、なぜか僕を支配していた「正社員!」という呪縛から脱したのだった。

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