暴走少年 前編

僕は高校生の頃に少し道を踏み外した。
そのきっかけはいくつもあるけれど、一番大きいのはやはり付き合う人だろう。
もちろん彼らが悪いのではなく、悪いのは自分。
強要されたわけでも強制されたわけでもなく、自らそこにいったのだから。
思考停止で流され、いつしかその思考までも腐り始め、「当たり前」や「常識」が変わっていく。
そして罪を犯し、やっと自分が道を外れていたことを自覚した。

今日はその罪の話ではなく、いわゆる不良な人たちについて話そう。
僕が通っていた中学はヤンキーが数人程度のおとなしい学校だったけど、隣の中学はヤンキー数十人の極悪中学だった。
聞くところによると、数年前に教師の体罰が大きな問題になり、保護者始め各所から圧力を受け、今度は逆に教師が生徒に何も言えなくなった。調子に乗った生徒たちはどんどんエスカレート。その中学があった地域はヤクザが多い地域であったこともあるだろう。親や兄弟、親戚、先輩、近所のおにーちゃんたちに、ヤクザや暴走族がいるのだから。
その中学は割れた窓も多く、生徒や部外者がバイクで校庭や校内を走り、火災報知器は常に誰かが鳴らすため電源が切ってある、というような惨憺たる状況だったらしい。

僕が中学3年生のときに仲良くなったフトシ君。
フトシ君はヤンキーではなかったけど、その友だちがこの極悪中学の人だった。
フトシ君の家は学区の境目ギリギリで、子どもの頃からの近所の友だちたちは極悪中学の学区。
さらに、彼らは子どもの頃からアイスホッケーをやっていたらしい。少年野球のように。
フトシ君と遊ぶようになった僕は、必然的にその友だちのヨロイ君とも遊ぶようになった。
一度だけヨロイ君のホッケーの練習試合を見に行ったことがある。アメフトのようなゴッツい防具を細い身体に身につけ、なかなかの迫力だった。あと、スケート靴に種類があることを初めて知った。僕が子どもの頃に履いたフィギュア靴だけではなく、ホッケー靴なるものがあったらしい。

中学を卒業すると、フトシ君は家業のタイル屋さんを、ヨロイ君は家業の大工の手伝いをするようになった。この頃付き合いのあった極悪中学出身の不良連中の中で、進学したのはヨロイ君といつもつるんでいたジャガ君だけで、彼は何かの専門学校に通っていた。何の専門なのかは聞いたこともない。たぶん僕は興味がなかったのだろう。彼らはなんというか二軍ヤンキー。僕は極悪中学の一軍ヤンキー出身の人たちとは、あまり遊ばなかった。彼らの多くはヤクザ・右翼団体に入るか、逆に不良をやめて真面目に造園屋さんやとび職として働いていた。

僕がよく遊んでいたのは、フトシ君、ヨロイ君、ジャガ君の4人。
まずはフトシ君の話をしよう。
彼は中学3年で仲良くなった5人のひとりだ。不良でもなんでもない。5人って今考えるとクラスに男子が20人として4人に1人。結構な規模だったんだな。中3のころ仲良かったのはこの5人だった。
フトシ君とは中学を卒業した後も関係が続き、2人でもたまに遊んだりした。
僕がアメリカンバイクを買った頃、フトシ君も違う種類のアメリカンバイクを買った。ついでに高校の同級生で遊ぶようになった極悪中学出身の料理人君もまた違う種類のアメリカンバイクを買った。仲間内でアメリカンに乗ってるのはこの3人だけだったから、たまに一緒に走るようになった。
あるときフトシ君と2人で歩いていると、元酒屋のローカルなコンビニの前で座っている少年がいて、フトシ君がそっちに歩いていき話しかけた。
「お前金返せよ」
その少年がヘラヘラ笑っていると、フトシ君は軽くだけどいきなり少年を殴った。僕は横でただ黙って見ていた。暴力を初めて間近で見たかもしれない。フトシ君は別にヤンキーではなかったけど、真面目でもない。その後その少年に会うことはなかったし、誰なのかも知らない。いろいろな事情もあったのだろう。でも僕がだんだんとフトシ君から距離を置く理由のひとつになったことは間違いがない。

僕が17歳になる夏、バイクの免許を取ることにした。
極悪中学出身者たちもみんな数ヶ月前から免許を取るブームが来ていて、みんな行ってる合宿で免許を取る教習所があるらしい。ヨロイ君とジャガ君ともう1人に誘われ、僕もその4人で合宿で免許を取ることにした。
予約を取り4人で電車で向かった合宿場は、茨城県の北の方の海近くにあった。
バスでたどり着いたその合宿場はなんだか古くさい見た目で、鉄の門の奥に廃墟のようなコンクリートの建物がある。中に入るともっと凄かった。
関東近郊のヤンキー御用達なのか、どこを見ても不良だらけ。合宿場は1階がバイクの免許の人たち、2階が車の免許の人たちで、1階はまだ幼さが残る不良少年というイメージ。でも2階の人たちは大人で、不良少年というよりは本職の方々に見えて怖かった。
寝床は4人1室。一緒に行った4人で同じ部屋でよかったけど、窓には鉄格子がはまっていた。
説明によると、鉄格子がないと外から地元のヤンキーが入ってくるらしい。
どんな修羅の国…。
部屋は二段ベッドになっていて、僕は下のベッドだったけど凄かった。下のベッドに寝転がると上のベッドの板が見える。その板には、もう隙間が無いくらいの落書き。
「〇〇参上!」
「武州 〇〇(暴走族のチーム名?)」
みたいな、若い自己顕示欲の暴走がこんなところにまで溢れ返っていた。
教習自体は特になんの問題もなく進み、牢獄のような教習所で僕はバイクの免許を取った。
ただし、恥ずかしながら僕は卒検に落ちた。
試験に落ちるという僕の失敗体験のひとつ。
上手く出来ていたつもりだったのに…。
どうやら、右折するときに黄色いセンターラインを踏んだらしい。
そのミスひとつで不合格。
2週間後、遠く離れた茨城まで1人で行って再試験。今度は合格となり、まったく知らない人たちと記念撮影をして終了。
後日受けた学科試験はもちろん一発合格出来た。


後編に続く…

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