職業へのあこがれ

ごく一部の選ばれたひとを除き、ひとは働かなければ生きていけない。
それに、人生の多くの時間や関心は、仕事に費やされていく。
だから、どんな仕事をするのか、どんな職業に就くのかは、人生の重大な要素なのだ。
それなのに、僕はずっとプラプラして、仕事をはじめてもすぐに辞めて、流されるままに生きてきた。
今の職業であるWEB制作の仕事も、この仕事でやっていこう!とか、この職に就きたい、と思ったことは一度もない。
子どもの頃から、将来は〇〇になりたい!みたいに強く考えたことはなかった。
だからか、僕はちゃんとした職業の人に、コンプレックスがある。
それと、子どもの頃の夢のとおりの職に就いている人や、「趣味は仕事です」みたいに心の底から言えちゃう人、みんなとっても尊敬するし憧れる。
高校時代の友達でも、料理人や整備士、好きな道をそのまままっすぐ進んだ彼らが、本当に羨ましい。

数あるお仕事のなかでも特に尊敬するのは、お堅い職業で、直接人を助ける職業の人だ。
警察官・消防士・自衛官・お医者さん、などなど。
まさに滅私奉公というか、ご本人たちに自覚はないのかもしれないけれど、「仕事」に人生をかけている姿が、とってもかっこいい。
妹の結婚相手がお巡りさんだった。
プライベートのときは、ニコニコしていて、ちょっとだらけた感じで、ゆるーい人と思っていた。でも、一度勤務中の姿をみたら、スーツを着ていたのもあるけど、キリッとしていて、めちゃくちゃかっこよかった。
もし生まれ変わっても、僕はこれら職業を選ばないし選べないと思う。
組織人間は僕には無理っぽいし、人命を預かるとか、責任感に潰されてしまうから。


ここからは、僕が今までに少しでもやってみたいと考えたことがあるお仕事を、少し振り返ってみよう。

小学生のときからスポーツが大嫌いだったから、なりたい職業ランキング上位の野球選手やサッカー選手にはもちろん興味も無い。
推理小説をよく読んでいたから探偵?
殺人事件とか怖すぎるから無し。実際には不倫調査とか、そんなのばかりらしいし。
残念ながらそんなに頭もよくないし、注意力・観察力も壊滅的だ。
動物が好きなので獣医さんは考えたことがある。
なりたい!と思ったわけではなく、おぼろげに思っただけで、なり方とか調べてもいないけど。
もし本気でなりたいと思っていたら、まずは勉強だ。この時点でかなりハードルが高い。お金はないから県立高校の出来るだけいいところに入るための受験勉強。その後は国立大学に入る頭はないだろうから、バイトで学費を貯めながら受験勉強。あるいは一度社会に出てから働いてお金を貯めて…
どちらもプラプラしてたものぐさの僕には無理だろう。
なにより、もし獣医さんになれたとしても続かなかったと思う。
めちゃめちゃ接客業だし、とても強い責任に、病気になったりどんなに頑張っても救えない動物たち。メンタル弱すぎる僕には無理だろう。
学生の時の解剖も無理そう。
大人になってから出来た友だちの友だちが獣医さんで、「本当に動物が好きだったら獣医になれない」と言っていた。
でもあれはたぶん謙遜だ。
その人は本当に動物が好きだから、自分が辛くても頑張れてるんだと思う。

高校生のときはバイクにはまった。
バイクは乗るのも整備するのも好きで、僕はそのままバイク整備士になり、2年間くらい働いた。
でも飽きてしまった。

航空券やパッケージ旅行のチケットを扱っているオンライン専門サイトの運営会社で働いていたとき、旅ライターさんの連載があった。
世界中を旅して、たしかそのライターさんは夫婦で、ひとりがカメラマン、もうひとりがライター。
好きなところを旅して、その様子を写真に撮って、文章にして、それで生活ができる。
いいなーと思った。
けど、一眼レフのカメラは少しだけやったけど、プロレベルになるような努力ができるほど好きにはなれないし、ライターのほうも自信はなかった。
何より旅=義務になったら辛くて嫌になりそうだった。

旅と言えば僕がハマった京都・奈良。
僕が京都通いをしていたころ、ちょうど「京都観光文化検定試験」というご当地検定が始まって、面白そうだったので受験。僕は2級に合格した。
せっかくだし、観光ガイドでもやるか?タクシーもやったし、貸し切り観光タクシーとかいいかも。とほんのちょっとだけ思ったけど、そんな濃密な接客は無理だし、自分に興味ないとこまで案内しないといけない。流行のカフェとか、お酒が美味しいお店とか、そんなのまったく知らないし知る気もない。それに京都に住む気にはなれないなぁ。と妄想だけで消えていった。

20代後半、ちょっと心が病んだ僕は、この現象はなんなのだろう?と心理学や精神医学の本を読んだり勉強を始めた。そしてユング心理学に興味を持ち、実際にユング派のカウンセリングに通ってもみた。そこから、臨床心理士やカウンセラーという職業も考えてみたけれど、自分が病んでいるのに出来るわけない。自分が治っても、人の心があまり分からない僕に、できるわけがないのであった。

同じように出家という道も考えたことがあるけれど、お坊さんってむしろかなりの組織人間だし、修行期間もかなりの集団生活。仮にどこかのお寺で住職におさまったとしても、結局かなりの接客業だ。現実的にはその辺の俗以上に俗な世界。なにより信仰心が皆無。

法律の勉強を始めて、弁護士?と考えたこともあった。
でも弁護士って、数ある職業の中でもかなり人と関わる仕事。というか、人と人の争いの中、場合によってはかなりドロドロな人間関係の中に突っ込んでいくお仕事。さらにそこで相手方と争うお仕事。僕に務まるわけがない。
同じ流れで大学の教授。無理かどうかは置いておいて、忙しすぎて自分の好きな研究できなそう。
まず学生への授業。頭の良い大学だったら、すでに自分よりできる人いそうで怖い。そうではない大学だったら、まともに授業聞いてくれなくて病みそう。
次に学内事務。教授は大学の運営にも関わらないといけない。学内政治とか凄そうだし、とっても疲れそう。
論文書くのは楽しそうだけど、学会とかでの研究発表は辛そう。すごい突っ込み受けてその場で答えられずに、数年は1人反省会がはかどっちゃう。
授業するだけの非常勤講師ならいけるかな…?収入無くて、その上を目指さないなら働く意味が薄くなりそうだ。


結局、僕は人と関わらないでいい仕事がいいのだ。
職人や芸術家だろうか。
またまた否定になっちゃうけど、職人は僕には無理。
細かい作業や、延々磨き続けるのとか、苦手。
不注意やミスもとても多い。
DIYやればやるほど、これを職業にするのは無理、って思っちゃう。
芸術家なら、興味あるのは陶芸家。
でも伝統陶芸は好きだけど、現代陶芸はあまり興味がないんだよな…
この歳で始めて満足できる作品を作れるようになるのに何年だろう、10年くらいか。会社員ならもう定年間近。売れる保証はまったくない。厳しい世界だね。
ちょっとだけやってみたのは、庭師。
とてもとても収入が低く、暮らしていけなかったのですぐにやめてしまった。
素敵な庭園の維持管理だけやる庭師も憧れる。
作庭するのも憧れるけど、どうせなら作ったお庭をずっと維持管理して、年月による移り変わりも一緒にいたい。
生まれ変わったら庭師か?ただ時代的に、庭師を入れるお庭を持つ家のほうがレア。仕事はどんどん減っている。庭園の専属庭師が一番いいけど、作庭技術は身につきにくそう。


僕は否定ばかりだな…
書き出してみると、せっかくの憧れを自分自身で次々と叩き壊している。
憧れと、自分の適正や能力とのギャップ。
それを乗り越えるほどの熱意を持ったこともない。
自分には何が不向きで、何に耐えられず、どんな状況で心が壊れてしまうのか、よくわかっているのかもしれない。でもそれは誤解で、自分で道を狭めているのかもしれない。
進路に悩む10代どころか、50間近になってもまだこんなことを思っている。
社会に適合できない僕は、運良く今のWEB関連の仕事にたどり着いた。
人と直接会うことはかなり少ない。
なんとか、この社会で生きていくために、掴んだ藁がこの仕事だったのだろうか。


やっぱり、ひとつのことをとことん突き詰めたスペシャリストには憧れる。
それがなんらかの職人や芸術家であっても、大学教授であっても、ずっとそれだけをやってきましたって、とても凄いこと。
僕は真逆だ。
職を転々として、自分の仕事に誇りもない。
こんな僕でも、あと10年〜15年は働かないといけない。
「働かないと」と義務感で言ってる時点で、働く喜びを知らない、かわいそうな人なのかもしれない。
夢は年金暮らしか宝くじか。

エッセイスト?
それだけで食べていける人って、いるんだろうか。
仕事にすると、辛いことや、嫌なこと、大変なことが多いのも、ある程度は知っている。
エッセイも例外ではないだろう。
でもこれでなんとか生活できる程度に稼げるなら、ちょっといいかも。
まぁまたすぐに、消えていく思いだろうだけど。

コメント