凍れる池で踊るサギ
新宿御苑は僕の庭だ。
だった。
34歳の僕は、新宿五丁目にあるごく普通の企業で、ごく普通に働き始めた。
ごく普通ということは、1時間の昼休みがある。
会社で働くときの重要な要素のひとつとして「お昼休みの過ごし方」という、避けられない課題があることは、コミュ障の皆様にはおわかりいただけるだろう。
僕もいつも新しい職場に行くと、いや行く前から、この場所だとどこで昼休みを過ごすか?を考える。
地図をみて、いいところがないか探す。
会社の人に極力会わないところ。
落ち着けるところ。
雨の日はどうするか。
悩みはつきない。
新宿5丁目の会社に通勤すると決まったときには、あまり悩まなかった。
なぜなら、徒歩10分で新宿御苑があったから。
自転車通勤をするために借りた区の駐輪場は、会社よりも新宿御苑のほうが近いくらいだ。
その仕事を辞めるまでのおよそ1年半の間、僕は昼休みになると御苑に行った。
おそらく年間100回以上は行っただろうから、2,000円の年間パスポートは十分に元を取った。
入場料1回20円換算。
こうして僕は、新宿御苑を僕の庭にしたのだった。
会社のデスクから御苑の新宿門まで徒歩10分、往復で20分、御苑滞在可能時間は最大で40分。
この40分をどのように楽しむのかは日によって異なるけど、ある程度のパターンは決まっていた。
まず基本として、お昼ご飯は持参だ。
御苑の中に食堂もあったけど、そこで食べたのは5回もないと思う。
自分で適当に作ったおにぎりと麦茶の入った水筒を、巾着袋に入れて持って行く。
そして、新宿門入ってしばらく歩いた森の中にある、西休憩所のベンチで食べる。
今は立派な建物があって資料館みたいな展示もあるけど、当時は屋根とベンチがあるだけの東屋だったのだ。
ここで本を読んだり、ごろごろして過ごすことが多かった。
少しぐらいの雨なら大丈夫。
すぐ横にトイレもあるので便利だ。
トイレ前のトチノキをよく眺めていた。
東屋の前に小川の源流があり、この湧き出し口には、季節によってザリガニがいたりするので、ちょっとのぞき込む。
流れに沿って歩いて行くと、春にはカエルの鳴き声がゲコゲコ聞こえてくる。
そのまま歩いて行くと、小さな沼にたどり着く。
途中に橋がかかる、橋の横にはガマが群生している。
池というよりも沼。透明度は高くなく、のぞき込んでもあまり中が見えない。
僕は何回かだけ、ここの主を見たことがある。
大きなスッポンだ。かなり大きい。50cmくらいあるんじゃなかろうか。
御苑には池が何カ所にもあり、四谷側にある玉藻池にはもっとたくさんのカメが住んでいる。
沼を過ぎてさらに下っていくと、ラクウショウ並木の近くの遊歩道に出る。
巨大な針葉樹のラクウショウが立ち並び、地面から気根がにょきにょきと生えている。
気根というのは、根っこが地面から真上に出てくるもので、僕にはいつもこれが小人さんに見えていた。大きな木の根元、地面にたくさんの小人さんが立ってこっちを見ている。
小人さんたちに別れを告げ、ちょっと森の中に入ると、小さな池がある。
普通の観光客はほとんど入ってこない場所だけど、この小さな池が僕のお気に入りだった。
御苑は広い。
東屋でのんびりしない日は、僕はとにかく歩いた。
お行儀が悪いけれど、おにぎりをパクつきながら歩いた。
早足で歩けば、40分でぎりぎり端っこまで行って帰ってこれる。
新宿門から入る僕にとって反対側の四谷方面にあるフランス式庭園(今は整形式庭園となっている?)に140本のモミジバスズカケノキの並木がある。新宿門入ってすぐ右にまがった先にあるモミジバスズカケノキの巨木と、この並木の巨木は、同じ時期に植えられた同期なのに、植え方や環境の違いでまったく異なる姿となっている。
ここにはバラ園もあって、季節になるとさまざまな薔薇が咲き乱れる。
そこから少し戻ると玉藻池。
大きな池で、森の中にある雰囲気もいい。ここの湖畔でもよく佇ずんだ。
千駄ヶ谷門の方まで歩くと、時間はギリギリ。
でもここには、桜園、紅葉山、つつじ山と、四季折々の見所がいっぱいある。
その下には、御苑を横断する細長い大きな池がある。
途中にある中国風の建物や、日本庭園のブロッコリーみたいな変な形の松タギョウショウ。
見所はいっぱいだ。
季節折々どころか、毎日行っても少し違う。
特に好きなのは、御苑の冬。雪が積もった御苑もいい。
雪融けの頃、地面を見ながら歩くと、雪の間から小さな黄色い花が咲いているのに気づく。
なんとも福々しい名前の福寿草だ。
雪を割って咲くこの小さな花を見つけるのが、冬の楽しみだった。
話しを戻して、僕のお気に入り、森の中の小さな池。
あそこは、真冬になると凍りつく。
特に寒い日は、表面全体が凍り付き、スケートリンクのようになる。
そこに雪が少し積もり、幻想的な景色が生まれた日があった。
僕が木陰から凍れる池をみていると、ふわっと真っ白い鳥が舞い降りた。
綺麗に着氷するかと思いきや、ツルッとすべってすーっとスケートのように滑っていく。
純白の羽をすこしパタパタさせながら。
小さな沼の反対側まで滑っていくとふわっと舞い上がり、今度は逆からアプローチ。
またパタパタツルツルと滑っていく。
「遊んでる…!」
あのシラサギは、間違いなく楽しんで滑って踊っていた。
真っ白い森の中の小さなスケートリンクで、優雅?に踊る純白のシラサギ。
僕はばれないように、じーっと潜み、独演を堪能させていただいた。
1年半僕の庭となった御苑も、仕事を辞めることで行くことも少なくなった。
その後、工事中だった巨大な温室が完成し、スターバックスが開店し、おしゃれなミュージアムも開館。なんだかあっという間に御苑が変化していった。
久しぶりに訪れた御苑に僕は、
「お前、変わっちまったな」
と声を掛けた。
上京した友だちが、東京に染まってしまったかのように。
僕はスタバに並ぶ人たちを横目で眺めながら、
「今のお前もなかなか悪くないな」
とつぶやき、あの頃よく歩いた道をなぞった。
小人たちは、あのときと変わらず、僕を眺めていた。
森の中に隠れたあの池では、今年の冬も人知れず、純白の踊り子が遊んでいたのだろう。
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