高円寺
20代半ばを過ぎた頃、僕は高円寺によく通っていた。
とはいっても当時は埼玉県民。
新宿で夜勤のバイトをしていたから、出勤前に高円寺にちょっと寄る。
夜勤明けで休みの日は、朝からブラブラしてから帰ったり。
友だちや友だちの友だちも、この近くに何人か住んでいた。
当時の高円寺は、高架下にお店があったり駐輪場があったりして、バンド関係の友だちのひとりも高架下の真横に住んでいた。高円寺から阿佐ヶ谷に向かって数分歩いたところにあるアパートで、風呂なしの6畳1間。電車の音も凄く響いてくるけど、とにかく安い。高円寺には銭湯もいくつかあって、昔ながらの富士山の絵を見ながら入浴できる、らしい。
もうひとりは、北口を出た純情商店街を突き抜け、早稲田通りを超えたところに住んでいた。住所は中野区だけど、最寄り駅は高円寺。こっちは特に面白みもない普通の安いマンション。
もうひとりは馬橋公園の近くの小さなマンション。馬橋公園はそれほど大きくはないけれど、運動広場やブランコもあるし、小川も流れ自然豊か。カオスな町から少し歩いて一息つくのにちょうどいい公園だった。
東京で懐かしいと思う「町」は、住んでいたところを除けば、高円寺がナンバーワンだ。施設でいえば、大学や図書館、博物館、美術館、新宿御苑、代々木公園となるけれど、町でいえば高円寺。
主に通っていたのは、古着屋さんと、アジア屋さん。
高円寺はカフェや居酒屋、レコード屋、雑貨屋なんかも有名だけど、ほとんど行ったことはない。
あ、でも、パル商店街からちょっと裏路地に入ったところにあった、ごく普通の町の定食屋さんにたまに行った。あとはご飯を食べるときは、普通にどこにでもあるチェーン店。個人店はコミュ障には敷居が高くて入れない。
フリーターでお金もなく、ファッション、特にブランド品とかにもあまり興味がなかった僕は、着ている物はだいたい古着だった。それか、アジア屋さんで買ったエスニックな服。
古着と言ってもおしゃれで着ているというよりは、単純にユーズド、いいものが中古で安いから。それに、新品を扱っているお店は、綺麗でなんかしっかりとしていて、店員さんも輝いていて、こんな敵地で「あの、試着いいですか…」なんて言えない。高円寺にあった古着屋さんもよく行ったけど、僕はひょろ長くてサイズがあまりないので、まず着れるサイズを探し、その少しの中から選ぶだけだった。たまにサイズもぴったりでデザインも好きなのが見つかると、とても嬉しく宝探しのようだった。
高円寺の特徴のひとつが、アジア屋さんが多いこと。
「日本のインド」とも言われるらしい。
エスニック料理屋が多く激戦区らしいけど、そっちにはまったく興味がなかった。
僕が行っていたのは、エスニック雑貨とエスニック衣料のお店。
高円寺駅周辺だけでもたしか4店舗あった、いや5店舗だったか。
高架下に仲屋むげん堂さん、南口のアーケードにある「高円寺パル商店街」にも仲屋むげん堂さんのもう1店舗と、だいぶ下ったところにある雑貨のお店、あとは衣料メインのWORLDさん、北口の庚申通りにあった同系列の夢幻回廊さん。
むげん堂さんは大きくて、なんというか陽キャな感じ。元気で明るいお店で、逆に陰キャな僕はあまり行かなかった。雑貨屋さんはお香や小物が豊富。あとの2つは、とっても小さいお店。更地にすれば軽自動車がギリ入るかなくらいのサイズ。ここでよくエスニックな服を買っていた。
アジア屋さんは、年に何回かタイやネパールに行って買い付けてきたものを売っている。
そのほかにも、日本のアジア屋さんのデザイナーがデザインした服を現地に発注して、出来上がったのを仕入れてくることもある。この小さなお店がデザインしたオリジナルの服を、僕は結構気に入っていた。
この小さなお店に通ううちに、店員さんが話しかけてくるようになった。
「いいの入ったよ」「これ似合うと思うから取っといた」
コミュ障の僕は「あ、どうも」といいながら、普段は常連扱いされるともうそのお店には行けないけど、ここは平気だった。なんというか、陽キャじゃなく押しつけがましくなく自然体、というか。商売目的丸出しではなく、本気でそう思っているから薦めてくる感じがした。オーナーっぽいお姉さまと、バイトのお姉さん。小さな店舗にひとりなので、「いいとこに来た。ちょっとお手洗い行くから店番してて」みたいなこともあった。当時コテコテのエスニックな服装をしていたので、知らない人から見たら店員さんで間違いない見た目ではあった。そんなときお客さんが来ると、コミュ障な僕は「あ、あの、店員さんすぐ帰ってきますんで…」と、その人からしたらわけのわからない状況。とても長い待ち時間だった。
こんな感じで、ヒマな日には高円寺をプラプラして、古着屋さんやアジア屋さんを物色し、顔馴染みの店員さんがいると軽くご挨拶をして、公園で癒やされる。そんな高円寺ぷらぷらが好きだった。
あとは、高円寺にあったライブハウスで友だちがライブをするときにも来る。
パル商店街の地下2階にあったライブハウス「高円寺20000V」。パンクやハードコア系のライブばかりやっていて、友だちのバンドもよくここでライブをしていた。地下1階にあったライブハウス「高円寺GEAR」もよく行った。
僕が高円寺通いをしていた数年後、僕が浜田山に引っ越してきて少ししたぐらいで、このライブハウスが入るビルが火事になった。そして、非常階段がないためライブハウスとして営業が出来ないことが発覚して、このライブハウスは東高円寺で再出発をした。高円寺ではライブハウスの評判が悪くて店舗を借りられなかったらしい。当時を客観的に見ると、そりゃそうだよね…と思った。パンクやハードコア系の人たちは、客観的に見ればかなり怖い。髪型は凄いし、タトゥーだらけ。ライブの日になるとそんな若者たちがパル商店街に溢れ、夜にはその辺で座り込んでたりする。僕もそのひとりだったことがあるけど、自分が無関係な住民だったら嫌だよね。
この数年後、僕は高円寺で働き始める。
バンド関係の元友人から誘われ、高円寺にあるオフィスで働くことになった。
これを機に僕は東京に住むことにした。
でも、高円寺には住みたくないな、と思っていた。
あのカオスな感じ、非日常な感じは、住むところではない、と感じていた。
住むのは、もっと穏やかなところがいい。
僕は高円寺から自転車で15分くらいの、自然豊かな場所にあるアパートに住むことにした。
不思議なもので、近くに住んでいるのに、その頃にはもう高円寺プラプラもあまりせず、古着屋さんにもアジア屋さんにもほとんど行かなかった。
あの頃は埼玉からせっせと通っていたのに、あのカオスには近寄らなくなった。
しばらくして、あの小さなアジア屋さんは閉店したらしいことを知った。
僕は高円寺の近くに住んだのに、僕の高円寺は終わりを告げた。
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