たくちゃん
30代も半ばを過ぎた頃、高校時代からの友人が亡くなった。
ガンだった。
数年間の闘病生活の末、眠るように息を引き取ったそうだ。
その頃東京に住んでいた僕に、地元の友人から連絡がきた。
「たくちゃん亡くなったよ。お通夜があるけど、これる?」
淡々と伝える電話越しの懐かしい声と、数年会ってなかった懐かしい友人のあだ名。
僕はなにも知らなかった。
数年連絡も取っていなかったくせに、もう会えないと思うと、いろいろな想いが溢れてきた。
僕は久しぶりに、あの色の電車に乗り、地元へと向かった。
だんだんと、かつて見慣れた景色が増えてくる。
懐かしい駅に降りると、久しぶりに会う友人が車で迎えに来てくれた。
まだ時間があるので、喫茶店へ。
当時、よく一緒に遊んだ数人の仲間が、また集まった。
ひとり、いないけれど。
たくちゃんとの思い出が、溢れてくる。
高校2年生の頃、廊下で見たのが、たくちゃんの最初の記憶だ。
当時よくつるんでいた料理人君と2人で廊下を歩いていると、教室の廊下側の椅子に座り、窓から仰向けにダラっと寄っかかり、こっちを見ている少年と目があった。
なんかにらまれている?
身体は小柄だけど、目つきが少し悪い。
そこにはもうひとりいて、後に仲良くなる車好き君。当時はまだどちらもほぼ知らない人だった。
ただそれだけ。
「何見てんだよ!?」とかそういうのもなく、ただ一瞬目が合って、通り過ぎただけ。
1回ではなくて、たくちゃんはよくその格好をしていたから、何回も同じように通り過ぎた。
なぜだかその光景を、よく覚えている。
高校3年生になると、僕たちは彼らと仲良くなった。
クラスが一緒になったわけではなくて、課外活動というか。
料理人君と2人でバイクで走り、セブンイレブンに寄ったんだ。
そこにちょうど車好き君がいて、誰にでもフレンドリー陽キャな彼が話しかけてきて、「今度一緒に走ろうぜ!」ということに。
そして、車好き君と仲が良かったたくちゃんも、一緒に遊ぶようになった。
「廊下でめっちゃにらんでくるから怖くてブルってたよ」
「にらんでねーよ!w」
目つきが少し悪いたくちゃんは、にらんでいるとよく勘違いされていた。
そんな風に仲良くなり、僕たちはバイクで一緒に走ったり、空き地でダラダラするようになった。
車好き君はベスパ50S、たくちゃんはスーパーカブに乗っていた。
よく覚えているのは、5人で行った相模湖プチツーリングだ。
真冬、相模湖へ至る道は極寒だった。
みんなフルフェイスのヘルメットなんて被ってない。
頭だけを守るヘルメットで、顔は剥き出し。
普段つけてる手袋も力不足な寒さ。
「寒いー!痛いー!」
と叫びながら、笑いながら走る。
寒すぎて、寒いを通り越して痛かった。
バンダナや持っていた布を顔に巻いてなんとか走る。
たどり着いた相模湖は、なんというか、とても寂れていた。
誰もいない。
売店や遊覧ボートの乗り場はあるけど、全部閉まっている。
静かな湖畔をプラプラし、そこにあった自販機で買った「写ルンです」でみんなで写真撮影。
日が落ちさらに寒くなった帰路を走って解散した。
みんな高校を卒業し(車好き君は出席日数ギリギリでなんとか卒業)、たくちゃんは自動車整備工場で働き始めた。
僕はバイク屋で整備士をやっていて、自宅からバイク屋への通勤経路の途中、少し入ったところにたくちゃんの職場があった。
仕事が早く終わる日は、たまにたくちゃんの職場に寄り、仕事帰りに2人でご飯を食べたり、休日にちょっと出かけたり、ゆるい友人関係が続いた。
一度たくちゃんの自宅に遊びに行った。
とてもとても小さなマルチーズがいて、生まれつきの病気で身体が大きくならず成犬でも2kg無いマルチーズ。たくちゃんはその子を、いつもと違う慈愛に満ちた目で、とても大切にしていることが伝わってきた。
たくちゃんは優しくて、うるさい陽キャじゃないけど暗いわけでもない、ちょうどいい感じ。左の口角をちょっと上げて笑う。
とある冬の日、僕はたくちゃんとふたりで車に乗っていた。たしかたくちゃんの車で僕が助手席で走っていると、どんどん雪が積もってくる。帰る途中、いきなり車が滑り出しくるっと一回転。フィギュアスケート選手のように綺麗に、車線を逸れず一回転し、そのまま元の向きに戻った。
「おー。おー、おー。」
たくちゃんはまん丸の目をしてとても驚いた顔をしていて、きっと僕も同じ顔をしていたのだろう。
「すげーなーww」
ふたりで笑いながら家に帰った。
周りに人も車もいなくてよかった。
僕が整備士をやめてフリーターになり、だんだんと時間とかが合わなくなり、会う回数が減り、気づけばいつしか会わなくなっていた。
たくちゃんは、癌に侵されていた。
僕たちにはまったくそのことを言わず、距離を置いていっていたことを、亡くなってから知った。
たくちゃんには、親友と呼べる友だちがひとりいた。
そのひとりにだけすべてを話し、みんなには言わないでくれと、お願いしていたらしい。
僕たちはなにも知らず、「たくちゃんどうしてんのかなー」とか、たまに話すくらいだった。
その親友君も同じ高校で知り合いではあるけど、あまり話したことはない。
たくちゃんは葬儀も、こぢんまりとほぼ近親者のみで、としたようだ。
親友君からの連絡で、僕たちはお通夜にだけ参加できることになった。
喫茶店を出てお通夜の会場に入る。
会場に入るとすぐ、コルクでできたメッセージボードが2枚、目に入った。
そこには写真がたくさん貼られていて、相模湖で写ルンですで撮ったあの写真や、高校の卒業式で一緒に撮った写真、ほかにも見たことのある写真もたくさん貼ってあった。
たくちゃんは僕たちのことを忘れたわけではなかった。
こんなにたくさんの思い出を大事にしてくれて、病気と闘っていたんだ。
この写真は、生前のたくちゃんが選んだのだろうか。
奥さんと写真を見ながら、たくさん思い出話をしていたのだろうか。
親友君と、どの写真がいいかなーと選んだんだろうか。
誰かが小さく、みずくせえよな…、とつぶやいた。
でも、なんとなくたくちゃんの気持ちもわかる。
僕がその立場だったら、やっぱり誰にも言わない気がする。
もし知らされていたら、どのように行動していただろう。
仕事もあるし、遠くに住んでるし、頻繁には会いにいけない。
何を話していいのかも戸惑ってしまう。
そして、もっと会いに行けばとか、あのときこうしていればとか、たくさん後悔してしまうだろう。
知らなければ、それはないか、ずっと軽くなる。
家族と親友にしか言わなかったのは、たくちゃんの優しさなんだ。
たくちゃんは、結婚した後にガンが発覚した。
奥さんは子ども欲しがったようだけど、たくちゃんは頑なに拒んだらしい。
まだ生きる可能性がゼロではないのだから、前を向いて子どもが欲しい。あるいは、最悪の場合でも、忘れ形見が欲しい、という奥さんの気持ち。
生きる可能性は少なくて、奥さんのこれからの人生を考えたら、自分との子どもはいなくていい、というたくちゃんの気持ち。
僕は奥さんに会ったことがなかった。
この会場で初めて会った奥さんは、ただそこに座っているだけで、たくちゃんのことを深く深く愛していることが伝わってきた。
どのような名俳優にも、あのような姿を演じることはできないだろう。
棺のなかにたくちゃんがいる。
友だちの何人かは、見ることを避けたけど、僕は最後に、たくちゃんにもう一度会いたかった。
静かに眠るたくちゃんは、あの頃と同じ顔をしていて、とても綺麗だった。
左の口角は、上がっていなかったけれど。
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