大きなみほとけ
大きいっていうのは、それだけでなんか、凄いね。
圧倒される。
迫力がある。
畏怖する。
なんだかスピリチュアルな、目に見えない何かまで想起される。
例えば、巨木。
ただの木なのに、なにか賢者のような、森の隠者のような、時空を超越した存在のような、パワーを感じる。
樹齢何千年とかってなると、さらにそれが強化される。
人類がウホウホしてたときから、ずっとそこで、時間の、時代の移り変わりを見てたんだな、と感慨深い。
生物もそう。
大きなクジラや、ジンベイザメ。
小さい仲間と変わらない生物なのに、なぜか賢くて、深いなにかを感じる。
人工物でもそう。
憧れのジャンボジェット・ボーイング747は本当にかっこいい。
残念ながら乗ることはなかったけど。いや、もしかしたら乗ったのかもしれない。幼児の頃台湾に行ったのがたしかタイ国際航空。フラッグマークを覚えている。それが747だったかもしれない。そういうことにしておこう。僕は747に乗ったことがあるのだ!
話は変わって、人型や顔というのも、心理学的にみても目を引くし、気になる。
人間だけど人間じゃない。
でもやっぱりなにか生きているような、意思があるような気がしてしまう。
それが巨大だったら、相乗効果だ。
そう、それが、大仏だ。
有名な大仏といえばもちろん、奈良と鎌倉。
歴史上、いくつもの大仏が作られたけど、のこっているのは奈良と鎌倉だけ。
大仏殿も含めて残っているのは、奈良だけ。
奈良の大仏さんは、将軍さまでおなじみマツケンさんみたいなお顔をしている。直線的で男性的。
鎌倉の大仏さんは、とても美しいお顔をされている。丸くて柔らかくて女性的。与謝野晶子が美男と言ったのもよくわかる。僕には女性に見えるけれど、イケメンなのは間違いない。
鎌倉の大仏さんは雨ざらし。大仏殿は何百年も前に倒壊してそのまんま。なので、大仏さんが地面にデーンっと座っているだけで、あまりオーラを感じない。逆に言うと親しみやすい近いイメージがある。
奈良の大仏さんは、巨大な大仏殿の中に安置されている。
平安時代には「雲太・和二・京三」と、日本で二番目に大きな建物と言われていた。ちなみに一番目が出雲大社の本殿、三番目が平安京大極殿で今で言う国会議事堂。
今の大仏殿は江戸時代の再建で、大仏さん自体もほぼほぼ江戸時代。お顔は完全に江戸時代のデザインで、面白みがない。あくまでも個人的な意見だけど、江戸時代の立体作品は四角四面で定型化され個性もなくオーラもない。
でも、大仏さんの両脇には脇侍もいて、大仏殿もあって、完全なお姿をお堂のなかで拝見できる。ただ、もうほぼほぼ観光地化されていて、厳かなムードとか、オーラを感じられない。お堂が大きすぎなのもあるかな。
過去には、京都にも3尊の大仏があった。
秀吉が作った方広寺の大仏さん。足利義教ゆかりの雲居寺の大仏さん。紅葉や重森三玲の庭でおなじみ東福寺の大仏さん。
みんななぜ大仏を作るのか。
やっぱり大きくてわかりやすい。
一般人にもわかりやすいし、「こんなもん作れるんだぞ」というわかりやすい権力の誇示にもなる。仏さんの力を借りたいという、政治や現世利益を求めて、わかりやすい大きいやつ、ってこともあるだろう。
人間は、大きい物に畏怖するのだから。
でも仏像好きとしては、大きいだけじゃ物足りない。
大事なのは空間。
美術館に飾られた名品より、信仰空間に1000年安置されたままの姿を拝観するほうが、ずっと心に迫ってくる。
仏像とお寺さんは、両方揃って空間芸術なのだ。
空間全体を作品にしたいというのは、現代美術でも変わらず、例えばマーク・ロスコの「シーグラム壁画」。千葉にあるDIC川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」が有名だ。近現代美術にはあまり興味がないので行ったことはないけれど。
僕が今まで巡ったなかで、もっとも空間全体が一体化して芸術作品となっていたのは、兵庫県小野市の浄土寺だ。
仏師快慶作の阿弥陀三尊が、専用のお堂の中に立っている。お堂も仏像も国宝に指定されている。
仏像は仏典にある仏さんのサイズの1丈6尺(約4.85m)プラスお立ち台の高さで、大きいけど巨大ではない。このサイズの仏像を「丈六仏」というけれど、立っている丈六仏は結構珍しい。
阿弥陀さんの極楽浄土は西方にあるといわれる。
このお堂も浄土堂という名前の通り西日が当たる時間に訪れると、お堂の中が西日で真っ赤になり、さらに幻想的な空間が生まれる。
大仏ではない仏像、大仏殿でへはない仏堂、だけど、大仏以上に大きく見えた。
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