窃盗
不良少年たちとの交流が続いた僕は、次第に感覚が麻痺していった。
人に迷惑をかけることを、悪いことをすることを、なんとも思わなくなってきた。
原付で2ケツしてノーヘルで走る。
暴走族の先輩に止められ、「シャクってんだったら取っちまえよ!」とナンバープレートをへし折られる。
路地の先にパトカーを発見し、後ろの人が慌てて降り何気なく通り過ぎる。敵を先に発見するコミュ障のセンサーはパトカーにも有効だった。
歩道を走ったり一時停止違反、一方通行逆走。
真夜中にうるさい音で走り回る。
時にはわざとマフラーを外し、直管の爆音でわざとゆっくり走る。そして大型ダンプに幅寄せされ死にそうになる。
吸い殻やゴミのポイ捨て。
店員さんにでも誰にでもタメ口。
誰々がケンカしたという話。
隣町の不良たちと抗争になり今度は襲いに行くという話。
バイクを盗んで来た、パーツを盗んで来た。
万引きした、値札を張り替えたという話。
盗んできたものを売ってる奴。
シンナーを吸ってる奴。
目の前で、赤ん坊の前で大麻を吸い始める奴。
ヤクザに追われて逃げているという奴。
コンビニや路上にたむろする。
たむろしていたら通報され来た警察とタメ口で話す。
通報したのが一緒にたむろしていた奴の親だったり。
警察に追われ逃げる。
逃げてマンションや路地裏に隠れ息を潜める。
いろいろな事が、「当たり前」「日常」になっていった。
追われたり隠れたりしてるときは、失神しそうな嫌な気分になったけど。
もしかしたらバレてるんじゃないか、今にも警察がくるんじゃないかという不安な気持ち。
平穏とはほど遠い日常だった。
頭では人に迷惑をかけているということを理解していた。
そんなことに慣れていき、それが当たり前で、むしろかっこいいと思ったり。
そしてそんな自分が、たまらなく嫌だったり。
ある日、そんな僕の日常が終わりを告げることになった。
17歳の夏。梅雨が明けた頃、僕たちはいつものようにたむろしていた。
メンバーはたしか6人くらいで、1コ上の先輩は自分の赤ん坊がいるところで大麻を吸うようなおかしい人。1コ下の後輩は、短い人生の半分を教護院(現在は児童自立支援施設)で過ごしてきた人物。それとヨロイ君とフトシ君とジャガ君。
誰かが「江ノ島行こうぜ」と言い出し、僕たちは江ノ島に向かって走り出した。
埼玉から江ノ島はそこそこ遠い。3時間くらい4台のバイクで走り、昼下がりに江ノ島あたりに着いた。
ちょうどそのタイミングで、先輩のバイクの様子がおかしい。クラッチが切れなくなった。見てみると、クラッチワイヤーが切れている。もう走り続けることはできない。運転がかなり上手ならクラッチを切らずに走れるけど、さすがに3時間の道のりはキツい。バイク屋さんを探すも見当たらず、すぐに修理をすることは難しそうだ。
一旦そのことは忘れ、江ノ島を楽しむことにした。
と言っても、その辺をプラプラするだけだ。
江ノ島に渡る橋のたもとにある砂浜では多くの人が遊んでいた。
僕たちは階段状のところに座ってダラダラとしていた。
僕は帰りどうすんだろ、と思いながらぼーっとしていた。
少し先の方の砂浜で円形に並び、ビーチボールを地面に落とさないようパスし続ける遊びをしている集団がいた。
すると誰かが、野次を言い出した。下手くそだのなんだの。
僕は正直やめて欲しかったけど、黙って少し距離を置いて座り直した。
しばらくすると、その集団の何人かがこちらに歩いてくる。
よく見ると全員めっちゃマッチョ。どうみても体育会系の大学生か、警察学校や自衛隊の人たちか、そんな感じの男たち。
こちらのヤンキー君たちと何か言い合って去っていった。
ちょっと離れて客観的に見ていたら、僕の仲間のヤンキー君たちはみんなヒョロヒョロで体格も良くなく、全然強そうじゃない。一方相手の方々は、ひとりでこちらの全員を相手にしても余裕そうにみえる。「いきがってるだけでヤンキーってダサいな」とちょっと思ってしまった。
そんなこんなで日が暮れて夜になると、僕たちは夜の江ノ島周辺をプラプラし始めた。
「あれのクラッチワイヤーって使えねーの?」先輩が言った。
そちらを見ると、どこにでもある小さな月極の駐車場。その奥に、バイクが停められていた。
当時から僕はバイクの整備がそこそこ出来たし、このメンバーの中でバイクをまともに触れるのは僕くらいだった。
「あー、帰るだけならなんとかなるかもしれないっすけど、五分五分っすかね…。」
このころの僕はもう感覚が麻痺していた。
他に整備ができる人がいないのだから「無理っすね」だけで済んだはずのだ。
ただ帰るためだけに、他人のバイクからパーツを盗む。
そんなありえない事を、重大な事を、僕は大して悩みもせずに、拒否もしなかった。
先輩が怖いとか、じゃあどうやって帰るとか、仲間内の空気とか、そんな理由もあったのかもしれない。それでも、それはただの言い訳だ。拒否することはそれほど難しくなかったのだから。
そして僕たちは自分のバイクから車載工具を持ち出し、僕と後輩が実行役、他の人たちが見張り役となって、他人のバイクを触り始めた。
窃盗の着手から3分くらい経過したとき、「何してんだ!」という野太い声に振り返ると、腕が丸太のように太いおじさんが2人、駐車場の中をこちらに向かってくる。
とっさに工具をポケットに隠し、見てただけですと嘘をつく。
おじさんは「逃げるなよ」とにらみを効かせながら110番通報。
見張り役のあいつらは姿が見えない。
僕は「見張りじゃないのかよ。あいつら何してたんだよ」と思うも、この駐車場に面した道はそこそこ人通りがある。見張るも何も、わかりやすく制服を着た警察が来た時くらいしか役に立たないだろう。
おじさんたちは、見回りをしている自警団のような人たちだったようだ。
警察官は数分で現れた。
僕は駐車場から道路の方に移動し、縁石に腰掛ける。とても立っていられなかったからだ。極度の緊張による迷走神経反射。目の前が真っ暗になり、倒れる前に縁石に腰掛けうずくまる。
しばらくすると回復し、工具がなければなんとかなるかも?とずるいことを思い立つ。
ちょうど僕が腰掛けた縁石は、蓋付きの側溝であった。
警察官はバイクの方を調べながら、おじさんたちと話している。
僕はバレないように蓋の隙間から工具をそっと足で落とし、蓋の上にたまっていた砂をかける。
何食わぬ顔で縁石に座ったまま、緊張は続いた。
おじさんが違うおじさんを連れてきて、バイクのところで話している。
バイクの持ち主のようで、狐につままれたような、何がなんだかわからないという呆然とした顔をしていた。
しばらくするとパトカーが現れ、僕たち実行犯2人は後部座席に乗せられた。
パトカーが出発すると、僕は「なんもやってないすよ」とまた嘘をつく。
パトカーのお巡りさんは「俺たちに言われても知らねーよ」と、ただの運搬係のようだった。
藤沢警察署に向かう道をパトカーの後部座席で眺めながら、「ここ50km道路なのに60kmくらい出てるよね、スピード違反じゃん」とどうでもいいことを考えていた。
夜中の警察署に着くと、薄暗いロビーのようなところで座らされ、雑談のようにラフな感じで「何やったの」みたいに話してくる。
僕は必死に、何もやっていない、見ていただけ、と嘘を繰り返す。すると、自分でもなんだか本当に何もやっていないような気がしてくる。嘘をついていると、その嘘に自分が騙され、本当のような気がしてくる、いや、本当に自分はやっていない、と思い込むという、不思議な現象がおきた。
僕は本当に何もやっていないんじゃないか?と思い始めたころ、最初に犯行現場に来たお巡りさんが勝ち誇った顔で現れ、僕たちが隠した工具をデスクに置いた。側溝から拾い上げてきたようだ。僕と後輩は眼を合わせ、「もう無理だ」と無言で会話した。そして、自分たちが盗む目的でやったことを認めた。
ロビーから取調室へ移動。
さっきまでは任意同行という形で、取調ではなかったからロビーだったようだ。罪を認めた以上は、正式な取り調べに入る。
夜中なのに、当番の刑事さんが何人かいるようで、後輩には強面のいかにもベテランなおじさん刑事、僕には若い女性刑事が付き、それぞれ別の取調室に入った。
僕は最初から最後まで全部話したけど、一緒に捕まった後輩は僕たち先輩がやらせた、として供述した。彼は人生の半分以上を教護院で過ごしてきた前歴がある。過去に何をしたのかとか、詳しいことはなにも知らないけれど、次捕まったら少年院送りになるかもしれない、ということは聞いていた。それに僕は初犯で軽微だから、少年院とか大事になることはないと知っていたから。
取調べの最初のほうで「後輩はなんて言ってます?」みたいな間抜けな質問をして、刑事さんにそれは教えられないと言われ、やっとわかった。口裏を合わせたり、供述に食い違いがあったり、ちゃんと真実を知るためにわざわざ別々に取り調べしているんだから、教えてくれるわけがない。
僕の罪状は、「クラッチレバー1本の窃盗」。
クラッチワイヤーを盗む犯罪に着手し、まずクラッチレバーを外した段階で捕まった。だから取り外したクラッチレバーを盗んだ窃盗の既遂、ということらしい。
供述調書に署名をして、ロビーに出る。刑事さんがくれた烏龍茶を飲みながら待っていると、後輩も出てきた。
時間は深夜2時くらい。
警察は僕の家にも後輩の家にも電話をしたけれど、どちらも迎えには来ない、という返事だったという。
「留置所泊まってくか」と聞いてきたけど、後輩が嫌そうだったから断った。経験としてこのとき泊まっとけばよかったな、と後でちょっと思った。
警察署を出て江ノ島近くまで送ってもらうことになるも、バイクの鍵が無いことに気づく。どこを探しても見つからず、バイクを停めた場所に行くとバイクはある。ただハンドルロックがかかっていない。帰ることができないので、海岸近くのコンクリートの上で2人で野宿をした。
朝になりバイクをどうしようか悩む。家に帰ればスペアキーはあるので、一度電車で家に帰り、スペアキーを持ってまた来ることにした。そして、自分が窃盗を働いたくせに、ハンドルロックがかかっていないバイクは誰でも持って行けてしまうことが嫌だった。交番で事情を話し相談すると、交番の前に置いて行っていいと言ってくれた。こうして、片瀬江ノ島交番の前に僕のバイクを置かせてもらい、電車で家に帰った。先輩が壊れたバイクをどうしたのかとかは、まったく覚えていない。
地元に帰り後輩と別れヨロイ君に連絡すると、僕のバイクのカギをなぜか先輩が持っていることがわかった。なぜ先輩が持っていたのか、なぜハンドルロックがかかっていなかったのか、わからないままだけど、先輩の家に寄ってカギを受け取り、家に帰った。
家には母のほか、姉が来ていた。
僕の事件でわざわざ実家に帰ってきたようだ。
母と姉に何をしたのかを話す。
「全然悪いと思ってないね」と姉に言われたひと言が、とても衝撃的だった。
僕は、自分が罪を犯したのに、客観的に説明していた。
罪悪感がない、反省の色がない、倫理観や規範意識が欠如している。
いつの間にか自分がそうなっていたことに、いまさら気づいたのだ。
次の日、後輩と待ち合わせまた江ノ島へ。後輩はわざわざまた江ノ島まで付き合ってくれたのだ。交番でお礼を言ってバイクを受け取り、1台のバイクで2ケツして2人で帰り、後輩を家に届けた。後輩はお母さんと2人暮らしで、ちょっとだけ会ったお母さんは、とても人生に疲れ果てた印象があった。
それから18歳になった僕は彼らと遊ぶこともなくなり、普通の高校生活を送った。
半年後、家庭裁判所から呼び出される。母と2人、川越にある家庭裁判所に行き、調査官との面談。面談自体は数分で終了した。母と2人で出かけたのは、何年ぶりかわからないくらいの久しぶりだったけど、忙しい母にこのような形で心労も時間も使わせた罪悪感と、久しぶりに母とまともに話した感慨とで複雑な心境だった。
後日家庭裁判所から「審判不開始決定通知書」が届き、僕の窃盗事件は一応の決着がついた。
後輩とは、あれ以来会うことがなかった。
それから1年くらいして、後輩が警察に追われバイクで逃げる途中事故に遭い、亡くなっていたことを聞いた。僕はなぜか、あまり悲しくならなかった。2人で捕まり野宿した思い出が、少し切なくなっただけ。それと、後輩のお母さんはあの後どうなったのだろうか、と少し思った。
あの夏、江ノ島の波音を聞きながらコンクリートの上で眠った夜、どんどん転がり落ちていろいろな人に迷惑を掛けてしまった僕の不良生活は、終焉へと向かった。
だけど、そのまま真っ直ぐに今まで生きてこれたわけではない。犯罪ではなくても、これはグレーかな、と思うようなことをしてしまったこともある。
そしてふとした瞬間に、あの側溝の蓋の隙間に消えていった鉄の冷たい感触と、落ちたときの音を思い出す。
僕は生きていてよかったのだろうか。不良少年として生涯を終えた彼と僕は、なにが違ったのだろうか。
あれから30年以上、いろいろな人に迷惑をかけて生きてきた。
側溝に隠したあの工具。
勝手に犯罪の道具にされ、邪魔だとして落とされ砂をかけられ、再び現れ犯罪を認めるきっかけとなった。
僕はそんな勝手な事を、人や物に対して、いくつもしてきたのではないだろうか。
偶然手に入った今の平穏な日常を静かに歩き続けるために、自分の過去と常に向き合って生きていかなれば。
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