一番始めの記憶
生まれきてから一番始めの記憶。
僕は子どもの頃の記憶があまりない。
あってもその記憶は、とても断片的だ。
動画ではなく静止画。
それも、本当の記憶なのか定かではない。
後で誰かから聞いたとか、写真をみたとか、それが実際の記憶として誤認されて覚えているケースもある気がする。
みんなそうなのかと思っていたけど、幼い頃の記憶をはっきり覚えている人も多いらしい。
『窓ぎわのトットちゃん』は記憶だけを頼りに書いた、子どもの頃のことはよく覚えている、と黒柳徹子さんもエッセイで語っていた。
『ちびまる子ちゃん』のさくらももこさんも、かなりよく覚えている人のひとりだろう。
僕の一番始めの記憶。
冷静に時系列を考えると一番始めではないのだけど、でもとてもはっきり記憶に残っている最初の記憶は、愛犬との別れだ。
当時、僕は台湾に住んでいた。
4歳から6歳くらいの間に2回行っていたはずで、うち1回は数ヶ月、もしかしたら1年くらい住んでいた。
台湾のどこだったのかは覚えていない。
地名なのか集落なのかの「音」は覚えている。
「センチンシュウェイン」と呼んでいた気がするんだけど、検索しても出てこない。
現地語を幼児が聞いてカタカナに変換して45年。
ヒットするわけがないか。
たしか山の方にあるキリスト教徒の集落だったんだ。
AIと話しながら調べたら「清泉(Qingquan / チンチュエン)」が有力とのこと。
でもこんなに山奥だったかな…
家はコンクリートか石で出来ていて、白い壁でガランとしたなにもない部屋を覚えている。
その白い壁に、とても大きなクモが張り付いていたんだ。
今調べたら「オオハシリグモ」というのがその辺にいるらしい。
現在の我が家にも、氏族単位で同居しているアシダカ軍曹の仲間だ。
「白い壁に張り付く大きなクモ」という僕の写真のような記憶は、どうやら間違いではないようだ。
家の横には、森があった。
森と言っても適度に日が入る明るい森で、巨木もなく細い木がいっぱい生えている。
おそらく雑木林のような、里山の生活用の林だったのだろう。
僕はそこで木登りをしていると、しましまの蛇さんと出会ったんだ。
記憶ではカラフルなしましま蛇さんだったんだけど、どうやらそんな蛇さんはいないらしい。
猛毒の蛇と、そっくりなんだけど無毒の蛇がいて、そいつは猛毒かもしれないから気をつけろって聞いた記憶がある。
「アマガサヘビ」っていう白黒のしましま蛇さんがいるらしい。
この子だったのかもしんない。
コブラの仲間!かっこいい。
そういえばウミヘビにも憧れたことがある。
変な動物。蛇なのに海を自由に泳ぎ、さらに猛毒がある。
大人になってから兄に「タイワンリス覚えてる」って言われたけど、リスはまったく覚えていない。そいつらなら今裏山でワンワン鳴いているけどね。
あとは、ハイビスカスかな。
その辺に自生しているハイビスカスを、日本に来てからも母はずっと好きだった。きっと、楽しかった台湾時代を思い出す花だったのだろう。
家に水道はあったけど、蛇口をひねると透明じゃなくて濁った水が出てきて、一緒に小さなイトミミズが出てくる。必ず煮沸してから飲むんだけど、煮沸で死んだイトミミズも一緒に飲んでいたんだろうな。
僕が住んでいたのは、おそらくキリスト教の集落で、日本語をしゃべれる人も多かった。
日本統治が終戦で終わってから35年ちょい。お年寄りは日本語が通じたんだ。
そして「山の人」と呼んでいる人たちがいた。
漢民族ではなく、元から住んでいる先住民の人たちで、おそらくタイヤル族。
先祖は首刈りの風習がある首刈り族だったらしく、顔に入れ墨を彫る。
でも顔に入れ墨した人なんて記憶にないな。
調べたら当時1980年ごろにはもう入れ墨はしていなくて、かなり高齢の女性に残っていたかも、くらいらしい。記憶は正しかった?
6歳になった僕は、台湾で小学校に入学した。
たしか制服があって、ランドセルではない薄いスクールバッグ。
明るい中庭。
ガヤガヤと楽しそうな子たちが「ラウスーライラ!」と叫んでワーっと教室に入る。
「先生来たー!」っと教室に入っていく光景は日本と同じだ。
人見知りなうえに言葉がまったくわからない僕に、友だちが出来るわけもないし、その光景が僕の記憶にある台湾の小学校のすべてだ。
次兄は楽しんでいたようで、日本に帰ってからも名前の中国語読みがニックネームになっていた。
あと覚えいてる言葉は「私は〇〇です」という意味の「ウォースー〇〇」だけ。
この頃僕は、よく怪我をした。
救急車で運ばれるほどの大けがもした。
たしか公園の廃墟のようなところで、崩れた鉄の滑り台があった。
階段の部分も滑る部分も、足が崩れて接地している。
僕はその元階段の上をぴょんぴょん歩き、ツルッと滑って額を階段にぶつけたんだ。
左目の視界が真っ赤になった。
痛かったという記憶はなくて、赤かったという記憶。
救急車もなんとなくだけ覚えている。
今も僕の額、左側の生え際には、3針縫ったあとが残っている。
記憶に残る1枚の写真。
漬物樽のようなプラスチックぽい大きな樽の中で、入浴をしているのか水浴びをしているのか、兄弟が樽の中で笑いながらこっちを見ている写真があった。
あれもこの頃なのかな。
写真の記憶だけで、そのもの自体の記憶はないけれど。
こうして思い出してみると、意外といろいろ覚えてるじゃないか。
当時僕たちは犬を飼っていた、というよりも、今でいう地域猫のような存在の地域犬がいた。
中型の赤茶色の犬で、耳はピンっと立っている。
「赤毛の台湾犬」で調べたら、まさにこんな感じだ。
ラッキー。
なんのひねりもない、当時とてもポピュラーだった犬の名前で、僕たちは彼を呼んでいた。
姉がとても可愛がっていて、虫下しを飲ませたときに吐き出した巨大な寄生虫を、姉が泣きながら恨みを込めて処理していたのを覚えている。
そして、冒頭で最初の記憶と言った、愛犬との別れが訪れる。
日本へ帰るためのタクシーに乗った僕は、後部座席の真ん中に座り、後ろの窓にしがみつく。
走るタクシーの後ろを、ラッキーが走って追いかけて来たんだ。
僕の記憶に深く刻まれた最初の記憶は、赤茶けた大地の道を、必至に追いかけてきて、次第に見えなくなったラッキーの姿だった。
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