滝の夢?

富士山に登る1年と少し前、まだ東京に出てくる少し前、僕は少しの期間だけ神奈川の相模原に住んでいた。

ある日、理由はまったく覚えていないけれど、妹の原付スクーターを借りて彷徨っていた。自分がどこを走っているのかもわからないまましばらく曲がりくねった道を走っていると、「〇〇登山口」や「〇〇滝」という古ぼけた看板が目に付いた。僕はスクーターを停め、吸い込まれるように山へと入っていった。
もちろん登山の装備なんて持っていないどころか、靴はペラペラのスリッポン。行動食どころか水も持っていない。入山届も出していない。ほぼ自殺行為で絶対にやったらダメやつだ。
当時の僕はまだうつ病が治りきっていなかった。もう薬は飲んでいなかったけれど、このときも思考力が落ちていたのかもしれない。
「滝をみたい」と思ったのは確かだ。
僕は滝が好きだったから。
山登りなんて高尾山くらいしか知らない僕が、山に入っていった。でも目的は登山じゃなくて滝を見ることだった。

季節はまだ蝉が鳴き始める前、梅雨の合間だっただろうか。
汗をかきながらどんどん山道を進んでいく僕も、いつしかバテてきていた。
喉が渇く。猛烈に。
喉がカラカラで、倒れてしまいそうだ。
もう限界かもしれん。
僕はこのまま遭難して死ぬのかもしれん。
誰にも出かけるとも山に入るとも言っていないし、誰ともすれ違ってない。
そのうちスクーターが帰ってこない妹から捜索願いが出され、登山道入口でスクーターが見つかるだろうか。捜索隊が組まれるのだろうか。
なんて迷惑なやつだ。
「出来るだけ誰にも迷惑をかけないで逝く方法」を常に考えていたくせに、結局最後まで大迷惑なやつだ。

そんなことを考えながらゾンビのようにフラフラと歩く僕に、水の流れる音が聞こえてきた。
幻聴を疑ったけれど、歩けば音が強くなっていく。
間違いなく川が流れている。
水の流れる音というのは、なんで素敵なのだろう。
緩やかな小川のサラサラという静かで清らかな音も、大量の水が落ち水しぶきがあがる滝のゴゥゴゥという音も、水の音は素晴らしい。ずっと聞いていたくなる。
僕の人生で、この時ほど水の音が素晴らしいと思ったことはないだろう。
ついに豊かに水が流れる川にたどり着いた僕は、一瞬躊躇しながらも、川の水を飲んで飲んで飲みまくった。
ウィルスだの病原菌だの寄生虫だのは、後の話だ。
今、飲まなければ、死ぬ。
最高に美味しかった。
水はこんなにも冷たく、でもあたたかく優しい味だったのか。
生き返った。
そしてこの川は、目的地であった名前も知らない滝のすぐ下流であった。

復活して少し登った僕は、ついに滝にたどり着いた。
滝から少し下にある大きな石の上に座って滝を眺め、そこに大の字に寝転がり木々を下から見上げる。小さな空が見える。
「生きている」

 その後驚くほどスムーズに下山し、でも登ったのとは違うところに出てきた。
スクーターどこ?
スマホもない時代。
道の脇にある苔むした看板のイラスト地図で確認し、車が1台通れる程度の道を歩き、なんとかスクーターにたどり着き、帰宅することができた。

あの山がどこだったのか、滝がどこだったのか、名前も何も覚えていない。
夢だったのだろうか。
でも僕は確かに、あの固くて冷たい石の上で水の音に包まれながら、生きていることを嬉しいと感じたのだった。

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