侵害と日常
僕は、カラスによく襲われる。
初夏になると要注意。
後ろから頭を蹴られ、「グァー!グァー!」と文句を言われる。
文句を言いたいのは、こちらなのに。
初台から渋谷まで徒歩で通勤していたときは、代々木公園の西側、代々木八幡の方にある入口から公園に入る。そして遊歩道を逸れ、森の中を歩く。
すると、後ろから音もなく飛来したあいつに、頭を蹴られるのだ。
「なにやつ!?」
と振り返ったときには、もう遙か高みの木の上から、今度は言葉で僕を口撃してくる。
手を振り上げ追いかけるふりをしても、届きはしないことを知っている。
奴らは気にせず口撃してくる。
そして隙を見せると、また後ろの死角から頭を蹴られる。
石を拾って投げるふりをすると、ちょっと慌ててバタバタとするけれど、フェイクであることはすぐにバレて口撃と攻撃は続く。
死角を見せないように絶えず振り向きながら、退散するしかない。
僕の完敗だ。
だから僕は、雨も降っていないのに折りたたみ傘を持って通勤することにした。
森に入るときは傘をさす。
すると、後ろから頭を攻撃することができないので、奴らも襲ってこないのだ。
でもこれは、一見僕の知恵の勝利のようにみえて、実は奴らの勝利なのだ。
奴らが襲ってくる理由は、木の上にある巣を守るため。雛を守るためであり、傘をさした僕は、奴らからも巣や雛を狙う敵には見えていないのだから。
僕の傘は、僕だけでなく奴らにも、安心な日常をお届けしたのだった。
カラスは、大切な日常を侵害してくる僕を、追い払っているだけなのだ。
平和で穏やかな日常を守りたい、というのは、誰しもが持つ願望のひとつであろう。
世の中では、自分の意思と関わりなく、日常の平和な暮らしが侵害されることがある。
「戦争」や「政治」のような大きな事だけではなく、日常にも危険は潜んでいる。
例えば「ちびまる子ちゃん」。
作者のさくらももこさんのご実家には許可なしのツアーバスが押しかけ、八百屋を経営する父親を見ては「ヒロシだ!」と、指さす観光客が多くいたらしい。
個人情報やプライバシー意識がかなり低い時代だったのもあるけれど、有名になると自分だけではなく、自分の家族の日常まで侵害されることがある。
お笑い芸人のオードリー春日さんは、売れ出した当時から貧乏キャラで有名で、阿佐ヶ谷の激安アパートに住んでいることを売りのひとつにしていた。高円寺や阿佐ヶ谷によく行っていた僕も、お笑いに興味がないのになぜか彼のアパートは知っていた。ご本人も「ファンの人がドアノブに差し入れ引っ掛けていく」と語っていたのをどこかで見たことがある。
これは自分から日常を切り売りしたのもあるけれど、おそらく想定以上の影響が出てしまった例だろう。
十数年前のあるとき、僕はひとりカンボジア旅行に出かけた。
アンコールワットで有名なシェムリアップ市を拠点にしていた僕は、トンレサップ湖の観光をしようと思い立った。
トンレサップ湖とは、対岸が見えないほど巨大な湖で、東南アジア最大の面積をもつ。
くだっていくと遙か中国から流れるメコン川につながり、ベトナムのメコンデルタで海へと流れる。
そんなトンレサップ湖には、水の上に筏を浮かべ、その筏の上に家を建て、湖上で生活する人たちがいる。
一説によると、100万人以上が湖上で生活しているらしい。
なぜ湖上で生活しているのかの理由は様々で、もともとは難民や、ベトナムから逃げるために川をさかのぼって来た人たちもいる。
戸籍を持たないので、地上で生活することができず、生きるための最後の手段として、湖の上で生活をしている人たちが多いらしい。
シェムリアップから流れるシェムリアップ川もトンレサップ湖に流れ込んでいて、その河口にも湖上生活者たちの大きな集落がある。
僕は、貸し切りで契約しているトゥクトゥク運転手の青年ミャーさんに、「トンレサップ湖を見に行きたい」とお願いし、昼も大分すぎてからトゥクトゥクで出かけた。
赤茶けた大地を1時間弱走ると、大きな湖が見えてくる。
細長いボートがいくつか繋留されている木造の建物に案内され、お金を払いミャーさんとふたりでボートに乗る。
水上村ツアーの始まりだ。
この集落では、湖上に人々の家があるだけではなく、学校や病院や教会も、湖上にある。
ここで生活している彼らの村の中を、ボートで見て回るツアーが盛況なのだ。
このときは夕方だったのもあってか、ボートの上にはボートをあやつるおじさんと、僕とミャーさんだけ。
僕は、湖上で生活する人たちの日常を見て回った。
本当に湖上に家がある!大きな建物もある!と、僕は異文化を見て回ることにワクワクだった。
途中、20mくらい先の湖上の小さな家の近くで、おそらく中学生くらいの少年が上半身だけを水面から出して、こちらを見ている。そしていきなり、僕に向かって、おもいっきりツバを吐いた。20mの距離を届けと言わんばかりの、大きなジェスチャーで。
僕はあのシーンが今でも鮮明に思い出せる。
少年が吐いたツバは、確かに僕に届き、僕の心に後悔という傷を残したのだ。
僕は、彼の、彼らの日常の生活を侵害していることに、この時初めて気づいたのだ。
ただ、一生懸命生活しているところを、その姿を、毎日毎日、勝手に見世物にされる。観光ツアーの会社やこのボートのおじさんはこれが仕事で、これで儲けているのだろうけど、大多数の住民にとっては、自分の生活を見世物にすることによる利益なんかないだろう。
特に、子どもにとっては。
僕はそこに土足で踏み入り、「ヒロシだ!」と、誰かの日常を侵害して、楽しんでいたのだ。
とある大手旅行会社のサイトには、今も次のような謳い文句が掲載されている。
「トンレサップ湖をクルーズして、湖上で暮らす人々の生活に触れることもできます!」
僕は、こんなツアーは二度としたくない。
後悔しかない。
あのカラスも、僕におもいっきりツバを吐いていたのだ。
彼らは必死に巣を作り、卵を温め、雛を育てている。
そこに、上を見たり下を見たり急に立ち止まったり、キョロキョロしながらとぼとぼ歩くデカいおじさんが現れる。
恐怖であろう。
恐怖を必死に抑え、我が子と日常を守るために、あのカラスは僕に攻撃してきたのだ。
新宿御苑でも、幡ヶ谷を散歩していても、代々木公園の陸橋を渡っていても、僕はいろいろなところでカラスに攻撃される。
「攻撃してこなきゃ、巣があるなんてわかんないのに、頭良くないのかな?」と思うこともある。
うちの弱虫な元野犬も、物音がするとワンワン吠える。
じっと黙って身を潜めていたほうが絶対安全なのに、自分がいることをアピールする。
実に不合理な行動ではあるけれど、彼らは日常を守るために必死なのだ。
必死になると、不合理な行動を取ってしまうのは、人間も同じだ。
SNSはもちろん、僕が書いているエッセイにも、日常のささいな行動にも、知らぬ間に自分や誰かの日常を侵害してしまう危険をはらんでいると、肝に銘じよう。
僕の心に住み着いたあの少年が、穏やかに暮らせるように。
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