動物の権利ってなに
動物の権利とは何か。
簡単にいうと、「動物にも権利があるんだから、今の人間社会における動物への扱いはよくないよね」、という文脈において、主に動物を擁護するために持ち出される理論のこと。
「動物の福祉」や「動物解放運動」の思想的・理論的根拠になっていたりもする。
では「動物の権利という理論」は何か。
これに答えるには、
「動物」とは何か。
「権利」とは何か。
このふたつを考えないといけない。
「動物」とは何か
ヒトももちろん動物だけど、この文脈では当然のように「ヒト以外の動物」となる。
「動物」についても、生物学上の分類とはあまり関係がない。
生物学で生物を「動物」と「植物」に分ける二界説は18世紀の分類で、以降三界から八界までいろいろな分類があるし、界ではなくドメインという分類もある。
わかりやすい三界でみても「動物」「植物」「その他(原生生物・細菌とか菌とか)」となるから、一般的にいう「動物」の概念よりは少し広い。
生物学上の動物は、カイメンやクラゲ、サンゴ、虫、魚、両生類、鳥類、爬虫類、哺乳類などを含む。
「動物の権利」というときの動物はどれなのか。
これは、下記のうちどこに線を引くのか、論者により異なる。
- ヒト
- 大型類人猿(ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)
- 小型類人猿(テナガザル)
- サル(ニホンザル、キツネザル、メガネザル等)
- クジラ類(クジラ、イルカ)
- 食肉目(イヌ、ネコ、クマ等)
- その他の哺乳類(ブタ、リス、ネズミ等)
- 鳥類
- 爬虫類
- 両生類
- 魚類
- 頭足類(イカ、コウイカ、タコ)
- 甲殻類(エビ、カニ等)
- 節足動物(昆虫、クモ等)
- その他の無脊椎動物(貝類、クラゲ、ウニ、ミミズ、ホヤ等)
- 植物
- 細菌類、菌類、原生生物等
(※それぞれ先に出たものは含まない)
一番多いのはもちろんヒトとそれ以外。
その次に多いのは、「その他の哺乳類」より上かどうか。
次いで「鳥類」より上かどうか。
イギリスやスイス等の進んだ地域では、「動物の福祉」の対象として「甲殻類」より上かどうか、が用いられている。
これらは何を基準としているのかというと、「感覚」があるかどうか。
より正確に言えば「痛み」や「快・不快」を感じるかどうか。
これには、生物学上の知見も重要となる。
ほかにも、大型類人猿には「人権」を与えるべき、という議論もあるし、ジャイナ教では植物ですら配慮が必要だとしている。
これらの線引きは、「動物の権利」でも「動物の福祉」でも、同じようにおこなわれる。
必ずどこかで線を引かないといけないし、誰でも無意識のうちにどこかに線を引いている。
・利用していいのはどこか
・理由があれば殺してもいいのはどこか
・食べてもいいのはどこか
・出来るだけ苦痛がないように扱うのはどこか
・配慮が必要なのはどこか
でも、ブタは食べてもいいけど犬や猫は食べたらダメ、と考える日本人はとても多いだろう。
どちらも同じ哺乳類で同じ仲間。知能や感覚能力に大きな違いはない。
そこで出てくるのが、生物の種ではなく、人間社会における役割における分類。
- コンパニオンアニマル (愛玩動物・ペット)
- 家畜(食用・衣料・労働)
- 実験動物(研究・試験に使用)
- 展示動物(動物園・水族館・サーカス等)
- 管理野生動物(狩猟対象・害獣・保護管理対象)
- 非管理野生動物(人間の直接的管理対象でない野生動物)
生物種の分類でいえば、ヒト以外のすべての動物はこれのどこに分類されてもおかしくない。
ブタのペットもいれば、家畜のブタ、野生動物のブタもいる。
ちなみに、日本の「動物の愛護及び管理に関する法律」で保護の対象となる「愛護動物」は次のように定めている。
第四十四条 第4項
前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
上の分類に当てはめると、爬虫類から上かつ展示動物から上が愛護動物となる。
これは、国際的にはかなり古い。日本はかなり遅れている。
ちなみに、生物学上は鳥類は爬虫類の一種で、両生類はほぼ魚類。爬虫類と両生類はとても似ているけど全然違う。ワニなんてトカゲよりも鳥に近いくらい。
ということで、「動物」とはなにか、については明らかになった?として、次は権利とはなにか。
「権利」とは何か
「動物の権利」というときの、権利ってなんだろうか。
まずは辞書を引いてみよう。
㋐一定の利益を主張し、また、これを享受する手段として、法律が一定の者に賦与する力。「―を取得する」
㋑ある事をする、またはしないことができる能力・自由。「他人を非難する―はない」⇔義務。
広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店(一部抜粋)
権利は、19世紀中葉以降、<法的に保護された利益>として国家による操作に服しながら社会の複雑化に対応する役割を果たす
村上淳一「権利」『哲学・思想事典』岩波書店、1998、P.473(一部抜粋)
権利は法律に保護される利益というにとどまらず、その保護のいろいろな態様を体系的・論理的に説明し処理するための法技術概念として構成されている。
「権利」『法律学小辞典』第5版、有斐閣、2016、P.340(一部抜粋)
国語、哲学用語、法律用語のそれぞれの辞典をみても、権利は「法による」「利益」とされている。
つまり動物の権利とは、動物の何らかの「利益」を「法律」で認めることをいうことになる。
現在の日本法では、「動物愛護法」によって、ある種類や状況にある動物は、「虐待や遺棄から逃れる利益」を認められている。もっとも、法律で決まっているからといって必ずしも守られているわけではなく、現状は権利があるといえる状況にはない。
ではその「利益」ってなんだろうか。
中学校くらいで習う「人権」には、生存権、自由権、平等権、参政権等がある。
動物に参政権を与えても意味がないし(おそらくもっとも頭がいいボノボでも支持政党を自分の自由意志で決めることは難しい)、信教の自由も意味がない。
でも、人身の自由(奴隷的拘束を受けない、不当な拘束・苦役からの自由)とか、居住・移転の自由、財産権の自由などは、不可能ではないし意味がありそうだ。
では、「国家への請求権」はどうだろう。 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利だ。犬が犬らしく、猫が猫らしく生きることができない状況にあるとき、国家に救済を申し立てることができるだろうか。
そしてもっとも根源的な利益が、「生きる」ということ。
殺されない権利、肉にされない権利。
人間はこれらの権利を当然に持っている、とされている。
でも当然じゃない。
「人権」は極めて近代になってから確立されてきたものであって、当たり前ではないのだ。
奴隷が当たり前の時代もあったし、当時の善良な人々も奴隷がいることが当たり前だと思っていた。
女性や異なる人種の人が二等市民扱いされるのが当然な時代もあった。
今の「当然」が今後も当然とは限らない。
今人間だけが持つとされる「人権」は100年後にはAIや一部の動物が持っていて当たり前だと思われているかもしれない。逆にもしかしたらなくなっているかもしれない。
「人権のカタログ」に記載される内容は、常に変わっていく。
これ以上は長い論文のようになってしまうので結論だけをいうと、現在の「動物の権利」として主流な権利とは、、「苦痛を受けない権利」や「苦しみから逃れる権利」。
論者によって、「苦痛を受けなければ殺してもいいし、その肉や皮を使ってもいい」という論者もいるし、完全に人間と同等の権利を与えるべき、という論者もいる。
では、その中でも根本的な「権利」をすべて認めるべきとする論者が目指す「動物の権利」が守られる世界を想定してみよう。
動物は財産ではないため、所有も禁止されるし、あらゆる動物利用は禁止となる。
- 食肉はなくなる。魚や貝を食べるかどうかは、どこで線を引くのかによる。植物性の代替肉や、培養肉が食されることになる。昆虫まで含むのであれば蜂蜜も禁止。
- 革製品等の動物製品はなくなる。こちらも昆虫まで含むのであれば、シルク等も禁止となる。
- 家畜は廃止されるため、現在生きている個体は子孫を残さないようにしたうえで天寿をまっとうするまでは飼育することになる。
- ペット禁止。動物は所有物ではないため、パートナーや同居者としてなら可能。ただし、本人の意思に反して閉じ込めることはできない。嫌がるのに医療を受けさせるかどうかは、未成年者に対する保護者と同じように扱われ、ある程度の介入は許される。フードは植物性や代替肉・培養肉となる。
- 動物実験は禁止となる。培養細胞や臓器チップ、AIシミュレーションが代わりとなる。
- 動物園・水族館・サーカス等も禁止。
- 釣り、乗馬、祭り等の文化事業への動物の参加も禁止。
- 害獣駆除の禁止。「追い出し」や「生息域の分離」のみが許される。
- 盲導犬・介助犬等、動物を道具として扱うことの禁止。
現実的にすぐにこの社会になるのは難しいけれど、技術の進歩により現在とそれほど変わらずにこの世界に移行することは可能、かもしれない。
だけど、社会のほとんどの人がこの世界には反対するだろう。
だから、現実的な道として、「動物の権利」ではなく「動物の福祉」がおこなわれ、推進されている。
「動物の福祉」は、動物の利用自体は認める。
ただし、利用はできるだけ少なく、代替手段があるならそっちを使う、どうしても利用する場合でも、利用される動物の「苦痛」を可能な限り軽減させる。という取り組みで、日本はほとんど何もやってないくらい後進国だけど、イギリスやスイスはとても進んでいる。
この話では、「線を引く」ことを前提として進めたけれど、根本的に見れば、線を引くのではなく、苦痛を感じるものに苦痛を与えるのはよくない、という至極当たり前なことをしているだけ。
さて、僕は何をどこまでやるべきだろうか。できるだろうか。
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