子どもの頃に食べたもの
食べるものや食習慣というのは、子ども時代の経験が大きいのだと思う。
僕は貧乏子だくさんで育ったので、かなり粗食だったけれど、健康にすくすく成長した。
それでも偏っていたのは間違いないのかもしれない。
今でも、というかベジタリアンになる前から、生ものはとても苦手。
母は北海道出身だったけど、海の幸はあまり食卓に上がらなかった。
子ども時代に寿司や刺身はたぶんほとんど食べたことがない。食べるようになったのは成人してから居酒屋でバイトをして、自分で寿司や刺身を作る側になってからだった。
といってもチェーンの居酒屋でシステム化されていたから、難しいことはない。
マグロは冷凍で長方形の柵が来るからそれを解凍して切るだけ。
ハマチは三枚におろした胴体部分の左右だけが届く。それの皮を引いて外して柳刃包丁で切る。タコは足だけが届くのでそれを波型にスライスする。イカは本体は無く三角の実の部分だけが届くので、皮をむいて軟骨を引き抜いて切る。ホタテやエビはほぼそのままだし、誰でもすぐに出来る程度だった。
おそらくここで初めてまともに食べたのがハマチ。美味しいなと思ったのはこれぐらい。
寿司屋にも回転寿司屋にも20代半ば頃までほぼ行ったことがなかったし、行っても食べるのは玉子、サーモン、軍艦のネギトロとイクラ、たまにマグロ、ハマチくらい。
貝類はまったく食べなかった。あさりの味噌汁はごく稀に出たことがあったけど、あまり好きじゃ無かった。エビも好きじゃない。カニはまともに食べたことがないけど、ごく僅かの経験からでも好きじゃない。
いわゆる子ども舌だ。
子どもの頃は魚自体、おそらく食卓に出てきたのは鮭くらいだ。サバの塩焼きやサバ味噌、アジフライですら出てきた記憶がない。鮭は好きだった。一度だけ僕が高校生のときに、存在も知らなかった大叔母が新巻鮭を送ってきたことがあった。僕はバイトしていたラーメン屋から包丁を借りてきて、なんとか解体してみんなで食べた。
だいぶ話が逸れてしまったけど、子どもの頃母子家庭子だくさんで多忙だった母は、食にかける手間は最低限にならざるを得なかった。
だから料理はいつも主菜の一品だけ。
味噌汁は出汁入り味噌を溶いて具を少し入れただけ。何か入ってるときは大根が多かった。油揚げの味噌汁は贅沢品で、出てくると嬉しかった。
サラダはレタスを切って醤油や味の素をかけるだけ。ドレッシングなんて高級品は使わない。もちろんオリーブオイルと塩こしょうなんておしゃれな食べ方はしない。大人になってからこれだけで美味しいことを知ってびっくりした。サラダと言うよりは簡易浅漬けのようなものだった。
そして主菜の一品は、卵焼きが一番多かったし好きだった。玉子は安くて栄養価が高い上に調理が簡単。もちろんだし巻きみたいな手の込んだものではなく、醤油や塩を入れて強火で一気に焼くだけ。白飯と卵焼きと味噌汁。これだけで十分だった。
次の定番は、そぼろご飯。鶏肉だったのか豚肉だったのかわからないけど、たぶん安い方。大量の挽肉をフライパンで加熱して醤油と砂糖で味付けするだけ。ただのふりかけのように白飯に乗せて食べる。たまに豪華なときには、炒り卵と桜でんぶで三色になる。これが特に好きだった。桜でんぶだけでも好きで、白飯にちょっと乗せて食べたりもした。
あとはどの家庭でも定番のカレー。もちろん具はほとんど入っていない。それとシチュー。シチューは一部界隈からは蛇蝎のごとく嫌われるご飯にかける食べ方。これが普通だと思っていた。
食べ方と言えば近年話題となった「三角食べ」。
僕は気づけば三角食べをしている。おかずの量に合わせてご飯を食べる量も調整して、同時に食べ終わるように無意識でやっている。もっと嫌われるらしい「口内調味」というやつも気づけばやっている。やめたほうがいいのだろうか…。
ちなみに妻は僕と真逆で、三角食べをまったくしない。一品ずつ片付けていくどころか、丼ものや麺ものでさえも、中の具を1種類ずつ片付けていく。「フランスの血が流れているから」らしい。純日本人のはずだけど。
三角食べを強制された覚えもしつけとか教えられた覚えもないけど、なぜかそうなっていた。僕が食のマナーで母が何か言っていたのを覚えているのは、お茶碗の持ち方だけ。記憶があいまいだけど、僕がしつけられたのではなく他の誰かに言っていた場面だと思う。つまむようにお茶碗を持つのを叱り、四本指を揃えて高台を乗せて、親指で支える綺麗な持ち方を指導していたように思う。「そんなパパみたいな持ち方」と言っていたような違うような…。父が蒸発した後だったのだろう。
食べ物の話に戻ろう。
母が北海道出身だったからか、ちょっと特殊なメニューがあった。子ども心に特殊であることがわかっていた「牛乳ご飯」。「ミルク粥」と言えばまだ抵抗は少ないかもしれないけど、文字通りご飯に牛乳をかけるだけ。オートミールやシリアルのように。そして砂糖をかける。ご飯なのに。ゲテモノ料理と言われてもしょうがないかもしれない。
夏になると「そうめん」が楽しみだった。ただそうめんを大量に茹でて、炒り卵と焼き海苔をちぎったものを乗せるだけ。ちなみに味付き海苔はおやつとしてたまに隠れて食べていた。今でも食べる。
麺ものと言えばサッポロ一番は定番だけど、ラーメン屋に行ったことすらほとんどない。外食はほとんどなく、お姉ちゃんがバイトをしていた不二家レストランにごく稀に行ったことぐらいしか覚えていない。
そばはおそらく子ども時代に食べたことがほぼない。大人になってから母に「そばアレルギーだったの?」と驚かれたくらい。いや、大人になってから発症したのか?わからないくらい食べた記憶がない。
たまに母やお姉ちゃんが作ってくれるハンバーグも楽しみだった。捏ねたタネをみんなで丸くして年季の入ったフライパンで焼いていく。人数が多いから作る量も多い。何回にも分けて焼いていく。ケチャップや醤油をかけて食べる。そういえばあまりソース文化がなかった。
あとは「おはぎ」いやぼたもち?これもたまに作ってくれた。やっぱり大量に作る。
スイーツで言えばひとつだけ覚えているのが、お姉ちゃんが作ってくれた揚げパン。というかパンの耳を揚げて砂糖をまぶしたやつ。これがとても美味しかった。
そして僕の記憶にまったくないんだけど、録音したと思われるテープに吹き込まれた音声だけ覚えているものがある。「片栗粉食べたいんだもん。片栗粉食べたいんだもん。」と延々繰り返すつぶやきの録音。記憶はないけど僕の声らしい。聞いたのも子どもの頃だけだから本当にあったことなのかすら曖昧だけど。片栗粉に砂糖をいれて熱してわらび餅みたいにしたおやつなんだと思う。
子ども時代の食についてネガティブな思い出はひとつだけ。ネガティブというか、辛かった。たしか土曜日、半日だけ学校があって給食が出ない日。家に帰ると作り置きのチャーハンがあって、それを食べた。変な味がしたけど食べた。そして盛大に腹を下した。この時の酸っぱい味の経験からか、その後飲食バイトをしたときも、少し腐っている、痛んでいる食材はいち早く分かるようになった、と思っている。
こんな子ども時代の食生活を送っていた僕は、中学3年でできた友だちの行動に衝撃を受ける。学校帰り、お肉屋さんでハムカツを買い、その場で食べる!お菓子ならまだわかる。ビックリマンチョコとか、シールだけが目当ての友だちからもらったチョコを食べたりはあった。でも食事というか、おかずを買い食いするというカルチャーショック。大人になってから知り合ったバンドの連中はもっと凄かった。コンビニで魚肉ソーセージを買って外で食べる。それどころか、ツブ貝や赤貝の缶詰を買ってすぐに食べる。ライブ前の少しの時間に、小腹が空いたからと回転寿司屋に入って少しだけ食べて出てくる。なんだかとても自由に食を楽しんでいた。
そんな僕もベジタリアンとなり、子ども時代とは違う食生活を送っているけれど、玉子はやめられそうにないから平飼い玉子でお茶を濁し、ご飯はやっぱり好きで、妻と暮らす前は食事のときは必ず汁物が必須だったけど、無いのにも慣れた。海苔はやっぱりおかずだし、血糖値を気にして白米はあまり食べないけどご飯はやっぱり美味しい。
そして、ほとんどまったくしつけなんかされなかったけど、箸は普通に使えるし最低限のマナーがなぜか身についていたのは、実は気づかないうちに母がしつけをしていたのだろうか。
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