僕とくるま
僕が少年時代にバイクにハマってバイク整備士にまでなったことは、別のエッセイに書いた。
では車はどうだったのか。
実は車には、全然ハマってない。
全然というと語弊があるかもしれないけれど、今回はそのことを書こう。
10代のころ、16歳で原付免許、17歳でバイクの免許を取った僕は、その流れで18歳で自動車の免許を、取らなかった。
自動車運転免許を取ったのは何年も後、23歳になってからだ。
もちろん周りの奴らは、18歳ですぐに取ったやつが多い。
自動車から生まれて自動車で育った「車好き君」みたいな奴もいた。
でも僕は、あまり興味がなかった。
二輪車で十分満足していた。
かっこいいな、と思った車もいくつかある。
いつか乗りたいな、と思っても買うほどじゃない。そしてその“いつか”は絶対来ないこともわかっている。その程度だ。
例えば、シボレー・ベルエアの57年式。
いわゆるフィフティーズ(50s)アメリカ文化を代表する車。ちなみに一番有名なのは59年式のキャデラックで、ロケットみたいなテールフィンが特徴。
車好き君が65年のシボレー・インパラに乗っていて、「もし僕がアメ車に乗るなら」という仮定で考えた場合に候補に挙がる程度。
この頃、たしか19歳くらいの車好き君はインパラをいわゆるローライダー仕様に改造していた。ハイドロ(油圧)を組み込んでいて、車がボンボン跳ねる。月に一度くらい、どこかの高速サービスエリアにローライダーたちが集まるイベントがあったようで、僕も一度だけ車好き君に連れられて行ったことがある。何十台ものいかつい車が集まってくる。中には車を向かい合わせて停めて、どちらが高くジャンプできるか競い合う人たちもいる。2トン近い車がジャンプしてガッチャンガッチャン凄い音がする。他にもマフラーから火を噴くフレームスロワーというド派手なパフォーマンスをする車もいたり。もちろん許可なんて取ってないだろうし、サービスエリアや一般利用者にはいい迷惑だっただろう。僕はその一度だけ、ほえーっと見て回った。
ちなみに車好き君はその後、1932年式のフォードを買って大事にしている。
次に思い出すのは、フォルクスワーゲン・タイプ3 ヴァリアント。
西ドイツのフォルクスワーゲンが作った車のひとつで、有名なビートルがタイプ1、ワーゲンバスで有名なワンボックスタイプがタイプ2、そしてこれがタイプ3。タイプ3にもいくつか種類があって、ビートルでもバスでもないのがタイプ3で、僕が好きだったのはその中でもワゴンタイプのヴァリアント。
これはごくたまに走っているのをみかけたくらい。ちょっとカワイイ車。
タイプ2のワーゲンバスなら、友だちのたくちゃんが乗っていた。今から30年前の当時でもかなり古い車で、乗って床をみると錆びて穴が空いていて地面が見える。スピードもあまり出なくて、国道16号にちょっと渋滞を作りながら走ってる。コロンと丸くてかわいい車体とたくちゃんはお似合いだった。
あとかっこいいと思ったアメ車がもう1台あって、1965年型のビュイック・リヴィエラ。
これは当時も誰にも共感されなかったけど、警備のバイトで山奥のトンネル前土砂崩れ現場に毎日通っていたとき、途中の家に停めてあったのを見て一目惚れ。自分でもなんでこんなのをかっこいいと思ったのだろうってくらい、マッチョでマッスルな車。ヘッドライトは縦目で、剣道のお面のようなところに隠れている。ライトをつけるとお面の部分が上下にウィーンと開くギミック。エンジンも大きすぎて、リッター4キロも走らない。今なら10km走ると500円以上かかるガソリン垂れ流しの車。
実は24歳のときに、こういうバカでかいアメ車ばかりを扱うアメ車屋で整備士として働いたことがある。ドラッグレースまでやっているような、直線が速くて強くてデカいアメ車マニアのお店。でもそういうのに興味もないし話も合わないコミュ障な僕が溶け込めるわけもなく、2ヶ月で辞めた。
なぜ興味も無いジャンルに特化したお店で働こうと思ったのだろう。たぶん、車の整備もしたかったけど普通の整備工場じゃつまらない→アメ車屋→通勤圏内にそこしかなかった、という安易な選択だったのだろう。
そして、唯一本当に買おうかな?と思った車が、タテグロ。
日産グロリアの67年から71年のモデル。こちらも縦目だけど、真面目でスタンダードな当時の高級セダン。日本の旧車の中では、今でもコアなマニアがいる一台だけど、クラシックカーショーくらいでしか見たことがない。
と、こんな感じで、いいなと思った車もいくつかあった。
でも実際に乗ったのは全然関係ない実用のみの車。
免許を取って初めて買ったのは、インドア陰キャな僕にはまったく似合わないトヨタ・ハイラックスサーフ。乗りたかったわけではなく、たまたま警備員のバイトをしていたときのバイト先の先輩が、車を乗り換えるけど15万で買わない?と言ってきて、タイミングもお値段もちょうどよかったので買っただけ。
ディーゼルでマニュアルのサーフ。当時は黒煙を吐いて走る車が多かったけど、このサーフもそうだった。しかも半クラッチにしてアクセルを踏むと、機関車のようにモクモクと大量の黒煙を吐く。煽られたときにはわざと黒煙モクモクにして、タコのように去って行ったこともあった。煽った人はどうでもいいけど周りには迷惑だったしやったらダメなのはわかってたんだけど。
2年弱で壊れ修理費がそこそこかかるので廃車に。
そのころバンドをやっていた僕は、機材車にもできるし広いのに小さくて便利、ということで中古でタウンエースのバンを買った。後ろは折りたたみのパイプ椅子みたいな椅子があるだけでほぼ荷台。
いかにも現場系な見た目を少しずつ改造していって、もちろん合法で車検も問題ない範囲で。
その後京都にハマった僕は、この車の荷室を改造し和室のようにして、布団を持ち込んで簡易宿泊所にした。下道で京都に行って1日上限ありの駐車場に停める。当時はそれほど車中泊という概念がなく、コインパークの規約にも禁止とは書いていなかった。1日観光をしてきて帰ってきてこの車の荷台で寝る、という格安旅行を繰り返した。京都・奈良だけではなく日本中をこの車と一緒に旅した。
ひと目で改造車とわかる見た目だったからか、よく職質された。東北の道の駅で車中泊していると、真夜中にトントンと起こされ、お巡りさんから職務質問。もちろん問題は無いのだけど、そんなことが何度もあった。
一番ひどかったのは、中部地方の山奥にある某観光地。その観光地に入ったあたりから、四駆のパトカーがずっと付いてくる。気のせいかと思ったけどそうじゃなく停まれと言われるわけでもなく付いてくる。僕が駐車場に停めると寄ってきて、違法改造だなんだと文句を付けてくる。こちらは一応整備士資格持ってるしこのままの状態で車検も通ってる合法改造なので論破するも、なんだかんだと文句を付けてきて、早くこの村から出て行け!というようなことを言われる。出て行かせる法的な根拠は何もないのに。映画『イージーライダー』で善良な農民に射殺される主人公たちを思い出した。
タウンエースで嫌な経験はこれくらいで、僕の旅の文字通り足となって支えてくれて、いろいろな経験をともにした。その後僕はどんどんうつ病が悪化しさらに地元を離れることになって、タウンエースを手放した。まだまだ走れたから、たぶん中東やアフリカあたりで第2の人生を謳歌したことだろう。
独身時代に僕が買ったのはこの2台だけ。
今は、なぜか妻と趣味が合ったとてもかわいい車が庭にいて、僕と妻と動物たちの暮らしを静かに支えてくれている。

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