キリスト教家庭に生まれ育ち 後編
僕たち家族は子どもの頃、毎年夏になると名栗川に遊びに出かけた。
山の中、森深い場所にある川で、目玉模様がある手の平ぐらいの大きな蛾が木に止まっていたり、自然豊かな場所だった。
日帰りが多かったけど、教会学校の夏のキャンプとしても何回か来たことがある。
「少年自然の家」だったか、山小屋のような泊まる施設があって、そこの二段ベッドで一泊。別棟のシャワールームみたいなところで、1回一酸化炭素中毒だったのか倒れたような、おぼろげな記憶がある。
車を停めるところからは、崖に作られた一応あります程度の階段を降りていく。すると砂利の川原が現れて、それほど大きくない川が流れている。
砂利の川原にレジャーシートを敷いて、おにぎりやお弁当を食べる。
ゴムボートに足踏み式の空気入れで頑張って空気を入れて、少し上流まで歩いてからそれに何人かで乗って、川に流されていく。対岸は崖になっていて、ちょっとだけ登れるところがあったり、川の中の大きな岩にボートを寄せたり、流れが速いところではボートをコントロールできなかったり、なかなかに面白いのだ。
水中眼鏡とシュノーケルをつけて、ボートなしで川に入ることもあった。だいたいは足が付くけど、奥の方に行くと足が付かないところもあって、ちょっと怖い。
魚を素手で捕まえようとしたり、もちろん捕まえたことはないけど。川原を掘って川を分岐させたりせき止めたり、よさげな石を探して水切りしたり、川遊びを十分に楽しむ行事だった。
貧困家庭ゆえに旅行にはほとんど行ったことがないし、毎年決まったお出かけはこれくらい。
夏になると名栗川に遊びに行くのが、なにより楽しみだった。
そんな名栗川で、僕たちの洗礼式はおこなわれた。
洗礼のやり方は教会によって違うけど、僕たちは全身川に浸かる方式。教会の中で水をピッピッとかけるだけのところもあるらしい。
その日洗礼を受ける人たちが、大人も子どもも、みんな白い装束になる。ただ白いシーツに穴をあけただけのような、簡素な衣装。
それを着てひとりひとり、太ももくらいまで川に浸かった牧師さんのところにいき、なんだか忘れたけど決まり文句を言う。たぶん信仰告白の文句だったのだろう。
すると牧師さんが腰と頭に手をあて、牧師さんにサポートされながらそのまま仰向けにまっすぐザブンと池に全身浸かり、すぐに起き上がる。水に浸かるのは一瞬だけ。これで洗礼が完了。聖霊が僕に宿ったらしい。
そして僕はクリスチャンとなり、聖餐式でブドウジュースを飲めるようになった。変わったのはそれだけ。自分から信仰告白をしたわけじゃないし、そもそも信仰しているのかもわからない。
物心つく前からキリストがいるのが当たり前で、あえて「信じています」と思ったこともない。これが、幼児洗礼だ。
前に教会で知り合った同年代の人はひとりも覚えていない、と言ったけれど、大人の人なら2人だけ覚えている。
イギリスから来た宣教師さんのウィルキンソンさんと、奥さんのマージュリーさんだ。
どちらもとてもどっぷりとしてふくよかで、いつも笑顔。
礼拝では牧師さんとして説教をするんだけど、母子家庭で兄弟が多い僕たちを気に掛けてくれて、ホームパーティーに呼んでくれたり、ファミレスでご馳走してくれたりした。
マージュリーさんが作ってくれるクッキーやカップケーキは、日本ではありえない凄い色をしていた。綺麗な水色だったり、鮮やかなピンクだったり。見た目はあれだけど、とても美味しかった。
僕たち兄弟はそのときロールプレイングゲームを楽しんでいてた。ドラゴンとか悪魔とかのモンスターがいっぱいて出てきて、それを暴力でやっつけるやつ。母も忙しく僕たちもそれなりに大きくなり、もうコンテンツ制限はされていなかった。でもおそらく母がウィルキンソンさんに相談したのだろう。彼から、「それは良くない」と真面目に説教されたことがある。悪霊だとかなんだとか。残念ながら、冒険ファンタジーに憧れる子どもは、宣教師さんでも止めることはできなかった。
僕は6歳までの間に何度か引っ越しをしていた。僕が生まれる前も入れれば数年の間に、東京→北海道→埼玉→広島→北海道→台湾→埼玉と引っ越しを繰り返した。両親とあまり話さなかった僕は理由を聞いたことがない。覚えていないだけかもしれないけど。
たぶん、キリスト教というか教会というか親の信仰の、なんらかの関係があったのだと思う。
あれがいつだったのか、何歳の頃かは忘れたけれど、「丸森」という地名と、キャンプのような集落でしばらく暮らした覚えもある。山小屋というかログハウスのようなところで、二段ベッドでしばらく寝起きしていたような…。それくらいで何のエピソードも覚えていないけど、森の中に小さな村のようなコミュニティーがあったような。
それとなにか関連があるのか一緒に記憶されているのが、丸木夫妻の原爆の図。たぶん同じ頃に見に行ったのだろう。自分が広島生まれで子どもの頃は原爆や戦争に人並み以上には関心があって、白黒と赤のみで表現された原爆の被害に苦しむ人々を描いたあの生々しい絵を、よく覚えている。ただ見にいったというよりは、なにか丸木夫妻とも挨拶したりしていたような。きっとキリスト教関連で丸木夫妻とご縁があったのだろう。
そんな風に僕の子ども時代は、両親の信仰とキリスト教がすべての基本にあった。そして中学2年生のとき、また信仰の関係で引っ越しをすることになる。
何があったのか、「夜逃げをしていった」とご近所に噂になるくらい、あっという間に僕たちは韓国に旅出った。韓国はキリスト教が盛んらしく、とあるキリスト教の集団にお邪魔してしばらく滞在。するとまた何があったのか、日本に帰国。それもお金がなかったのか、なにか理由があったのか、大使館にお世話になって。帰国しても家はもう引き払っていて、住む場所がない。僕たちはしばらく、いろいろな方に迷惑をかけながら住所不定でさまようことになった。
そんな日々も長くは続かず、埼玉に家を借りることができることになり、僕はそこで大人になるまで暮らすことができた。
中学2年のこの頃を境として、僕の人生のひとつの区切りとなったと思う。
これ以前の記憶は、なんだか靄が掛かっているような、映画館でスクリーンに映った動画や静止画を観ているような、そんな風に思い出される。
これ以降の記憶は、はっきりと自分のものとして自分の中に収まっている。
そして、僕とキリスト教の関わりもここを境にしている。
縁もゆかりもない土地に引っ越したからなのか、母にとって韓国へ行き日本で彷徨い、というこの過程が、とてつもない負担と精神的苦痛であったのか、教会に行かなくなった。母の人生で最も辛い時期のひとつだっただろう。僕も自分でいろいろと考えることが出来る年齢になってきて、もしまた教会に行こうと言われても、行かなかったかもしれない。
僕とキリストは、静かに別の道を歩き始めた。
転校先で中学3年になると、クラスメイトにエホバの証人の宗教二世の男の子がいた。
とある日曜日に家の呼び鈴が鳴り、出るとその子がネクタイを締め、大人の人と一緒に立っていた。とても気まずそうな顔。
その子は高校も一緒になり、必修科目であった剣道の授業はいつも座って見ていた。武道はやったらいけないとか。
子ども時代の僕よりもはるかに厳しい戒律があって、僕は勝手に「かわいそう」と思っていた。だけれど、本当にかわいそうだったのだろうか。彼は自分の意思で、まわりから変な目で見られても確固たる意思で、その活動をしていたのかもしれない。クラスメイトというだけでまともに話したことはなかったからわからない。勝手にかわいそうと決めつけるのは、彼に対してとっても失礼だったのかもしれない。
子どもに宗教教育をするのは虐待であるという言説もある。
物心つく前から世間一般から見ればはねじ曲がった思想信条を植え付ける。
もし彼が自分の意思でやっていたとしても、それはねじ曲がった宗教教育の結果なのかもしれない。もしそうなら、やっぱりかわいそうだったのだろうか。
でも教育の境目なんて曖昧だ。ここまでは虐待で、ここからはそうじゃない、なんて明確な線は引けない。
「ご先祖様や目上の人は敬いましょう」だって、見方によっては偏った思想教育だとも言える。
僕も宗教教育を施されて育ったけど、そのことについて自分をかわいそうだとか、親に憤ったことはない。
心の中からキリストが消えるまではそれなりに時間が掛かったし、僕の人格形成の根本の部分にキリスト教があるのは確固たる事実で、それはどうしようもないしどうしようとも思わない。三つ子の魂百までとは、よく言ったものだ。
教会に行かなくなってから3年くらい経った頃、僕は罪を犯した。
あの時は、僕の中のキリストは目を閉じていた。存在はしていたけど、都合のいいときだけ目をつむるようになっていた。
その後も彼は、僕の中に住み続けた。
彼を通して、「天のお父さま」へと祈りを届ける。
面接、試験、なにかあると心の中で祈る。
現世利益ばかりを祈る。
それはもう、癖というよりも、当たり前な日常であった。
教会には行かないし、聖書も読まない。
だけど、自分勝手な祈りだけして、すがりつく。
心の安定剤。
それでも20代半ば頃、僕の心は壊れていったので、それほど効かない安定剤だったのかもしれない。
そんな日々が続き20代後半、僕の愛犬が天に召された。
僕は、とうとう彼と決別した。
何かあると心の中で祈る癖も、次第に薄れていき、僕の中から彼はいなくなった。
それでも、何かに見れらているという感覚。
というよりも、誰が見ていないくても自分が一番見ているという感覚。
何かをするときに、自分自身という客観的な監視人がいる。
心に住んでいるそんな監視人は、姿を変えた彼なのかもしれない。
数年前、信仰に生きた母が亡くなった後、僕は30数年ぶりに教会に行った。
今住んでいるところの近くにある教会のクリスマス礼拝に、妻と一緒に飛び入りで参加した。
来たことのないところで、見たことないの人たちだけど、なぜかあの頃と何も変わっていなかいと感じた。
そして聖餐式。
幼児洗礼の僕はノーカウント。
僕は聖餐式で、パンも食べず、葡萄酒も飲まなかった。
なぜか、すこし安心した。
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