日本美術の沼へ 前編

京都にハマる前、僕は神社とお寺の違いも知らなかったし、日本の文化も地理も歴史も一般教養レベルすらほとんど知らなかった。

京都に行き始めてから、本を読んだりして知識が増えていった。
その知識のジャンルやカテゴリを列挙してみるとこんな感じだ。

  • 京都
  • 奈良
  • お寺・仏教
  • 神社・神道
  • 国宝・文化財
  • 世界遺産
  • 古建築・城郭
  • 庭園
  • 茶道
  • 陶芸
  • 仏像
  • 日本絵画・芸術
  • 西洋絵画・芸術
  • 日本の歴史
  • 日本の地理

などなど。
もちろん最初からこれら全部に興味を持ったわけではなく、少しずつ触れていった。
一番はじめは、神社だった。

以前から自然が好きだった僕は、京都や奈良にある神社の「杜(もり)」に興味を持った。多くの場合、神社には杜があるし、ご神木と呼べるような古くて大きな木が植えてある。その杜も、ただの雑木林とは違ってちゃんと管理され、なんだか厳かで神秘的な雰囲気がある。
京都なら世界遺産にも指定されている「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」にある「糺の森(ただすのもり)」。
京都の市街にありながら縄文時代から続く原生林で、森の中を小川もいくつか流れている。そのうちのひとつ、御手洗川の源流となる御手洗池に浮かぶ泡を元にして、みたらし団子が生まれたという伝説もある。
神社の杜に魅せられた僕は、有名な神社を調べ、神社を目的に京都や奈良に行った。このときはお寺には興味がなかった。

奈良の「大神神社(おおみわじんじゃ)」に行くと、神社の裏にある三輪山自体がご神体ということで、本殿がない。神社なのに本殿がない?この奇妙な厨二病のような発想はなんだろう。山全体が神域じゃなくてご神体。自然崇拝の極地のような。僕は杜だけではなく、神社や神道そのものに興味をもった。
古事記や日本書紀、日本の神話や神社について調べた。神社にはそれぞれ御祭神が決まっていて、有名な神社には日本の歴史とつながるような由緒がある。日本の歴史にも興味を持ち、少しずつ勉強しながら、旅をした。
子どもの頃に胸躍らせた「古墳」と、天皇や大王(おおきみ)とのつながり。邪馬台国の卑弥呼と日本の主神天照大神(アマテラスオオミカミ)との奇妙な符合など、知的好奇心をくすぐられることがいっぱいあった。
奈良の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」に行ったとき、細長く小さな建物に目を惹かれた。古びていて繊細な印象がある木造建築で、苔むした曲線の桧皮葺(ひわだぶき)の屋根。国宝に指定されている「石上神宮 摂社 出雲建雄神社拝殿」だ。およそ700年前に建てられたという歴史ロマンもさることながら、その造形や在り方がとも美しいと思った。
次に訪れた同じく奈良の「談山神社(たんざんじんじゃ)」は、神社なのに塔がある。木造「十三重塔」の均整の取れた形や、山の木々を背景に立つ姿に心惹かれ、古建築の美しさや歴史ロマンにも興味を強くした。
学校で習った「大化の改新」につながる談合がおこなわれたから、談合の山ということで「談山」とか、まだ詳しくは知らなかったけど、お寺の物であるはずの塔が神社にある違和感とか、知りたいことや面白いこと、わずかにある知識と合わさって「聞いたことある!」「知ってる!」みたいな、知識欲や感情を刺激することがいっぱいあった。

子どもの頃の僕は勉強はしなかった。でも嫌いではなかった。家に帰って予習復習といった勉強をした覚えは無いけれど、学校の授業はちゃんと聞いていたし、教科書を読むのは嫌いではなかった。特に好きだったのは、社会科の資料集。教科書とは違い写真や絵で、石器時代から近代現代までのいろいろな事が載っている。京都や奈良を旅していると、そのとき見たいろいろな物が思い出され、目の前に現れる。
必然的に僕は、神社や歴史、建造物、文化財といったものにハマった。

そんなこんなで京都や奈良に行き始めると、遅ればせながらガイドブックを手に観光をしはじめた。
京都で「平安神宮神苑」に訪れてみると、広大な苑内では常に水の音が聞こえ、谷崎潤一郎『細雪』にも出てくるしだれ桜が咲き誇る。池に掛かる橋は屋根付きの回廊になっていて真ん中には楼閣まである。水の中から飛び石のような丸い柱がいくつも出ていて渡ることができる。かつての五条大橋の橋脚を再利用したとか。なにより四季折々の花が咲き、植物園と庭園の中間のような、特別な空間が広がっていた。
僕は、庭にも興味を持ち始めた。もともと自然が好きだったのだから必然ではある。
面白い庭があると聞き京都嵐山の外れにある「松尾大社(まつのおたいしゃ)」に行くと、とても奇妙な庭と出会った。平安神宮のように歩いて回れる広大な庭園ではなかった。複雑な形の池があり、そこここに大きな細長い石が突き刺さっている。ちなみに、庭好きになる前は持ち運べるくらいのサイズを石、大きいのは岩だと思っていたけど、庭園の世界では基本的に全部「石」と呼ぶ。平安時代の庭園指南書『作庭記』にも「石をたてる」みたいに書いてある。
どうやらこのお庭は、昭和時代に活躍した作庭家、重森三玲さんの作らしい。庭を芸術にする。「東福寺」にある同じ作者のお庭も見に行く。これはもう自然じゃない。自然じゃないけど、なにかいい。

そして僕は、自然じゃない自然、枯山水庭園を見に行った。
枯山水は禅の世界。
ただの砂を水に見立て、急流や大河、大海を表現する。
またまたちなみに、砂といってるけど一般的には小石サイズ。砂場の砂じゃない。
石を立てて山や陸に見立てる。
有名な「龍安寺石庭」。ここでは中学校の修学旅行で来た記憶がよみがえる。とは言っても、「あ、ここ来たことある」という事実を思い出しただけで、感動したとか、自分がどう感じたとか、そういうのは出てこなかった。
次に有名な「大徳寺大仙院庭園」や「南禅寺方丈庭園」。
枯山水は「見立て」で出てきている。
あの石が「虎の子渡し」だとか、鶴と亀だとか、蓬莱山(ほうらいさん、仙人が住む島)だとか、九山八海(くせんはっかい、仏教の小宇宙)だとか、須弥山(しゅみせん、世界の中心にある山)だとか。
正直そんなものには見えない。夜空に浮かぶ星座よりはそう見えるかもしれないけど。なんであの光が獅子やケンタウロスに見えるのだろう…。
こうして無事お庭にハマった僕は、枯山水を通して仏教にも興味を持ち始めた。
それとお茶。大きな庭園にはお茶室がある。禅と茶は切っても切れない関係にある。庭園をみながら抹茶をいただく。この非日常なはじめての体験。
それに、当然のように観光名所の多くは神社ではなくお寺だった。この頃には、神社とお寺の違いをなんとなく知るようになっていた。
京都に来はじめてから迂余曲折を経て、やっと寺やお茶文化に辿り着いた。


続く…


平安神宮 神苑の橋殿


龍安寺石庭

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