昭和生まれの僕と音楽
子どもの頃、家には常に音楽が流れていた。
賛美歌が。
プロが歌った市販されているものから、母たちが教会で歌ったものをテープ録音したものまで。
母は若い頃声楽を少しやっていたらしく、歌うことが大好きだった。
いろいろな賛美歌をよく口ずさんでいたし、僕たちも教会でよく歌っていた。
僕が小さい頃は、家にあった電子ピアノで、お姉ちゃんが「子どものバイエル」を練習していた。
「エリーゼのために」をよく弾いていた気がする。
三兄もピアノが好きでよくやっていたし、妹たちも少しやっていた。
貧困だったのでもちろん習いに行くことはなかったけど。
僕は、全然やらなかった。なんでだろう、まったく興味がわかなかった。
教会にあったボタンがいっぱいあるシンセサイザー?で、ボタンを押すと勝手に一定のリズムが流れたり、鍵盤を押したときの音が電子音になったり、なんかビョーンビョーンといった変な音になるのは面白かったけど。弾くというのは試しもしなかった。
でも歌うのは好きだったし、賛美歌も好きだった。
いのちのことば社の『友よ歌おう ゴスペルフォーク・ヒット集』という賛美歌集、検索して表紙の画像をみると、懐かしさがこみ上げてくる。
ここに収録されている「わたしは夜明けに」もよく歌っていた。
あとは聖書の「テサロニケ第一 5章 16,17,18」をそのまま歌にした曲とか、子ども賛美歌の「わたしたちはロバの子です」とか。
僕の幼少期は、プロテスタントの教会音楽が溢れていた。
姉や兄がいる人たちは、子どもの頃からちょっとませた音楽を聴くことがよくある。バンドとか、洋楽とか。
僕には姉も兄もいたけれど、そういったことはなかった。お姉ちゃんが「オフコース」を聞いていて、三兄もよく聞いていた。三兄はマイケル・ジャクソンも好きだったし、「We Are the World」(1985)は家でよく流れていた。
僕が自ら音楽を聴いてみたのは、中学3年以降だと思う。
中2の秋に引っ越す前までは、僕の交友関係はとても狭かった。友だちと呼べるのは近所の子だけで、家とまったく無関係な友だちが出来たのは引っ越した後、中3になってからだった。
中2で引っ越した後に不登校になり、中3で学校に行き始め運良く友だちができた僕は、初めて外の世界を知った。と言っても中学生の小さな世界だけど。
時はカラオケ全盛期になるちょっと前くらい。
中学生の友だちだけでカラオケに行くこともたまにあった。
当時はコイン式で、室料以外に曲をかけるためにお金がかかる。
たしかCDが1曲100円、映像なしでイメージ画像と歌詞が表示されるだけ。
LD(レーザーディスク)が1曲200円で映像あり。
両替した100円玉をカラオケ機の上に塔のように積み重ね、歌う毎に投入する。
投入すると、ガラスで透けて見える機械の中で実際にディスクが運ばれて行き、音楽が流れ出す。この少し後には「通信カラオケ」なるものが登場して、どんどんコイン式じゃなくなっていった。
この頃まだ純粋な少年だった僕は、カラオケで友人が歌った「SAY YES」が気に入った。
ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌で大ヒットしていた曲だ。そして僕が初めて買ったCDがこの曲が収録されたCHAGE&ASKA『SUPER BEST II』(1992)。ドラマは見たことないけど。
高校生になり新たな友だちが出来た僕は、違う世界があることを知った。
そいつは中学時代から「BOØWY」のファンで、自転車にステッカーまで貼ってあった。
バンド文化。
「ユニコーン」「ZIGGY」「JUN SKY WALKERS」「ブルーハーツ」などなど。
僕はまったく興味がなかった。「BOØWY」も、どこがかっこいいのかまったくわからなかった。「チェッカーズ」「レベッカ」「B’z」「X JAPAN」はJポップ枠のイメージ。
どれもカラオケではよく歌われていたし、好きな曲もあった。
この頃はカラオケ全盛期で、みんなすぐにカラオケに行く。
原曲を聞いたこともないのに、誰かがカラオケで歌っていたから知ってるし歌える、というのも普通だった。
サザンオールスターズの「涙のキッス」は、パンチパーマの後輩の持ち歌だったから知った。
尾崎豊もカラオケで知って、いい曲多いなと聴き始めたのは彼が亡くなった後だった。後に聴くようになる「NIRVANA(ニルヴァーナ)」も、ボーカルのカート・コバーンが亡くなった後に知った。どちらも年代としては生前を知っているはずなのに、知るのが数年遅かった。
そんな純粋な時代を過ぎると、悪い奴らと付き合い始めたり、高校の友だちとかの影響で洋楽も聴くようになってきた。それまでは洋楽なんて英語で意味分からんし、なんかかっこつけた感じが嫌で敬遠していたけど。
時はちょうどパンク、というかメロコアの全盛期。
スケーターやサーファーのイメージビデオの音楽としてもよく使われ、西海岸系とも呼ばれていた音楽だ。
まずは「ペニーワイズ」というバンドで、STAND BY MEの曲をメロコア風にカバーするという、素人が食いつきやすいずるいやり方に僕もやられた。
マイルドにそこから入って、一般的にも有名な「Green Day」や「オフスプリング」。
そこまでメジャーではなかった
「Face to Face」
「バッド・レリジョン」
「NOFX」
などなど、来日公演があれば聞きに行ったりした。どのバンドかは言わないけどその演奏の下手さに驚いたりした。
一番気に入っていたのは、モヒカンでタトゥーだらけの「ランシド」。おじさんだと思っていたけど、今見ると若い…。
ところが僕は、「オアシス」とか「クイーン」とかにはまったく興味がなかった。
というよりも、ほぼ知らなかった。
なぜなら、たまたま聴いた曲や薦められた曲で気に入るものはあったけど、そもそも音楽好きじゃない僕は、「じゃーこれ聴いてみよう」「有名なこのバンドも聴いてみよう」というふうに自分から広げることをしなかったから、超有名バンドすら知らなかった。
だから知ってるバンドが出ている「サマーソニック」には何回か行ったけど、「フジロック」には一回も行ったことがない。
あとはパンクのルーツということで、当時「初期パン(初期のパンクロック)」と呼ばれた
「セックス・ピストルズ」
「ザ・クラッシュ」
「ラモーンズ」
とか、僕が生まれて少し経った頃に流行った古い曲も聴いたりした。
数年後バンドを始めた僕は、この初期パンが気に入った。
だって、とっても簡単だから。
ドラムもギターもベースも、すべてが初心者用かのように単純で簡単。
ほんのちょっと練習するだけで誰でもライブが出来ちゃうくらい。
友人のバンドのライブによく行っていたころは、有名なバンドではなくその界隈のインディーズ名音楽もよく聴いていた。
そのころ、ミクスチャーが流行り始め、
「リンキン・パーク」『ハイブリッド・セオリー』(2000)
「リンプ・ビズキット」『Chocolate Starfish and the Hot Dog Flavored Water』(2000)
なども良く聴いた。
同じ頃、こういったちょっと悪い系の音楽ではなく、正統派?のバンドにひとつだけハマった。
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」
Californication(1999)やBy the Way(2002)
で日本でもブームになっていた頃、来日公演も聴きに行き、その演奏の巧さに驚いた。
CDそのまま流してる?というくらいクオリティが高い。
そして、僕の音楽ブームは「By The Way」が最後だった。
あるときふと気づく。
「別に音楽好きじゃない」
特に自分でバンドをしていたときの違和感。
周りとの温度差がひどい。みんないろんな音楽やバンドを知っていて、楽しそうにその話をしている。でも僕はその話にまったく興味がない。
思えば、音楽に対して僕はずっと受動的だった。
音楽が好きなのではなく、バンドや、その仲間や雰囲気、そういったものに背伸びをして、その世界をちょっと味わっていただけ。不良仲間と一緒にいたときと大して変わらないと思った。
音楽を聴くのは確かに楽しいし、心揺さぶられる時もある。
でもそれは特定の曲であって、「音楽」全体が好きなわけではない。
僕は音楽を聴かなくなった。
その後何年も経ち、クラシック音楽に興味をもった僕はいくつか聴いていき、ショパンの「幻想ポロネーズ」で泣いた。クラシックは敷居が高かったけど、ちゃんと聴いてみるとショパンやリストはポップスだった。
そしてADHD特性もある僕は、常に頭の中で同じ曲が流れることがよくある。
その曲は、飲食バイトのときに常に店内に流れていた90年代Jポップや、賛美歌が多いようだ。
ペニーワイズ「STAND BY ME」(1992) (原曲はベン・E・キング、1961)
ランシド「Ruby Soho」
ランシド「Time Bomb」
Red Hot Chili Peppers「By The Way」
Chopin: Polonaise-Fantaisie in A-Flat Major, Op. 61
コメント