おおいちょう
僕が通っていた小学校には、大きないちょうの木があった。
小学1年で転校してきて、いちょうに見守られながら6年間通い、卒業した。
この学校は自校給食だというのが売り文句だったのか「自校給食ありがとう!」とよく言っていて、なんか凄いことなのかな、と子供心に思っていた。全校集会にも給食のおばちゃんたちが並び、卒業文集にも給食のおばちゃんたちの名前が載っている。
たしか1学年3クラス。1クラスに40人くらいだったから、全校児童数は720人くらい。給食のおばちゃんの数は10人もいなかったから、毎日数人でこれだけの数の給食作るって凄い大変。
しかも給食って、和洋中なんでもある。あのおばちゃんたちは何でも作れる魔法の腕を持っていたのだ。
うちは母子家庭で母は忙しく超単純かつ決まったメニューしか食卓に登らなかったから、給食が唯一世間一般の食を体験する場だった。時代を写し出していた献立はクジラの肉。あんまり美味しくなかった。好きだったのはソフト麺のラーメンと揚げパンと冷凍ミカン。どれも好きな献立のド定番で、なんのひねりもないけれど。
取り立てて特徴のない、ごく普通の公立小学校。
登校は集団登校。ご近所さんの子どもたち数人で班を作り、朝みんなで一緒に登校する。一番上の学年の子が班長になって、1年生とか小さい子を守りながら学校に行く。班長さんは黄色い旗が付いた班長棒をもって、ぶんぶん振り回したりしてよく折れる。僕も6年生のときは班長さんだったはずだけど何も覚えていない。防災訓練とかがあると、みんなで校庭に集まってそのまま帰る集団下校がたまにあった。校庭で登校する班で集まるのが何か特別な感じで好きだった。
僕は小学校時代の記憶があまりない。
特に4年生までの記憶がとても薄い。本当に存在していたのだろうか。
授業はまじめに受けていたはず。
僕は今よく妻に「ドラミングうるさい!」って怒られる。
デスクワークをしていると、いつの間にかリズムを刻んでいる。
ADHDの気質がある人にドラムをやらせてはダメ!絶対!
一生ドラミングが続くことになる。
だけども子どもの頃の僕は、注意欠陥はあるけど多動はなかったはず。むしろじーっと置物のように動かない子だったはずなんだ。自覚がないだけだったのか?「ジッとしてなさい!」と言われた記憶もないし、授業も妨害することなくじーっとぼーっと受けていたのだ。
ただ授業に集中できないことはもちろんあった。
社会科資料集が現れると、授業を聞くよりも資料集を見るのに夢中になった。
算数の授業で教科書に円周率が出てきたときは、その授業の間は授業を聞かずにずっと円周率を暗記していて、30桁まで暗記できた。「3.1415926535…」今でも30桁まで言える。
注意欠陥については、一番覚えているのは版画を作ったとき。
木の板を彫刻刀で削って版画を作る授業があって、僕は当時憧れていた剣道のお面を題材にした。木の板からはみ出るお面のどアップ。当時『六三四の剣』という剣道アニメがやっていて、剣道に憧れた。でもやりたいとは言い出せなかった。
で、木の板を彫刻刀で刻むときに、板が動いちゃうから左手で押さえる。右手の彫刻刀の進行方向に左手。夢中で削ってるとつい抑えてしまう。そして案の定保健室へ行くことになる。何回保健室に行ったのかわからないくらい、毎回行ってたんじゃなかろうか。「刃物の進む先に手を置かない」という当たり前の教訓を今でも気にするくらい覚えているのに、当時は毎回ついやってしまう。
そんな経験やブルーカラー時代の教えもあり、今でも刃物にはうるさく妻にうざがられている。だって、包丁の一部が浮いているように置くと、そこに手をついたりなんかあったときに包丁がぴょーんと飛んじゃう。剪定ばさみも閉じないで置いてるけど、つまづいたりしてそこに手をついたらサクッといっちゃう。何回言っても本人は気にしてないから、見つけ次第直している。
ちなみに版画は金賞をもらった。
スポーツは子どもの頃から大嫌いで、体育の時間ももちろん嫌い。プールなんて本当に嫌だった。
好きだったのは本を読むこと。
学校に必ずあった「はだしのゲン」は、自分が広島生まれだったり戦争に関わる誕生日だったりしたこともあってよく読んだ。戦争怖い、ピカドン怖いと思ったもんだ。
あとは日本史の漫画。信長を裏切った光秀が農民に竹槍でやられるシーンを、なぜかはっきり覚えている。
活字なら探偵物ばかり読んでいた。
江戸川乱歩の「怪人二十面相」や「少年探偵団」に、「シャーロック・ホームズ」。
当時日曜の子ども向けテレビ番組で少年探偵団がテーマのドラマがやっていて、そこに出てくる子どもたちが持っている探偵グッズおもちゃも売っていた。三兄が「金属探知機」を買った。地面の上をゆらゆら動かして、下に金属があると「ピッピッピピピピ」と鳴る。「集音器」も誰かが持っていた。パラボラアンテナみたいなのを聞きたい方向に向けると、ヘッドホンで遠くの音が聞きやすくなる。僕は「探偵手帳」だけ持っていたかも。今思えばあんなもので何がしたかったのだろう…。
ほかに好んで読んだのは、「アーサー王と円卓の騎士」。
鎧を着た「騎士」とか、長い槍を持ってお互いに馬でぶつかり合う「馬上槍試合」。
怪しげな魔術師の「マーリン」。
そして「エクスカリバー」。岩から抜くシーンと、池からエクスカリバーを持った手がにょきっと出てくるシーン。なんで2回も出てくるのか、活字から想像される絵面だけ覚えていて、内容は全然覚えていない、というかたぶん当時も理解していなかった。
あとは、ギリシャ神話とかの神話の物語もよく読んだ。こちらもペガサスとかメデューサとかわかりやすい絵面は覚えているけど、内容はあんまり。
小学校時代は服装はまったく気にしなかった。親が買ってきたりもらってきた物をそのままなんのこだわりもなく着る。髪も親がカット。初めて美容室や理容室に行ったのは15過ぎてからじゃなかろうか。
後に思春期を迎えた僕は、もみあげが羨ましかった。
なぜ僕にはもみあげがないのか。
きっと、子ども時代に坊主頭とかにしてたらもみあげが生えるのだ。僕は坊主じゃなかったからもみあげがないのだ。あぁ次元大介。ずるい。あんなダンディーなもみあげが欲しい。美容室で「もみあげどうしますか?」ってそもそも無いだろ!どうするもこうするも…。と、一時期「なぜ子どもの頃坊主にしてくれなかったのか」と本気で思った。
服装で言えば特筆すべきはランドセル。
これもとてもうろ覚えなんだけど、僕は小学5年生くらいでランドセルを卒業したような気がする。たぶん利用不可能なくらいまで壊れた。そして今更新しいのを買う余裕もないし、普通の中学生のような肩掛けバックで通った。これについてはうろ覚えなくらい、なにも嫌じゃなかったしなんの問題もなかった。
小学5年生になると、ある意味熱心な若手熱血教師がいて、いろいろな課外活動をした。授業の一環で誰でもやることもあったのかもしれない。
一番覚えているのは「わらじ作り」。
講師としておばあちゃんたちが本物の藁を持ってきた。藁を何本か束ねて端っこを結わえ、裸足になって足の親指に引っ掛ける。藁束を2本に分けて両手に持ち、両手を拝むようにすり合わせて藁をねじりあわせ縒っていく。それそ繰り返し、藁をどんどん足して一本の長い縄を作る。長い藁の縄ができたら、今度は両足に引っ掛けて編み込んでいく。難しいけどとてもいびつなわらじが出来上がった。この藁を縄にしてくときに、口に水を含んでブー!っと一気に藁に吹きかける。湿らせる昔ながらのやり方みたいだけど、子ども心に「きたな」と少しびっくりした。
他にも竹細工のおじいさんが来たこともあった。竹を持ってきて竹を割り、カッターナイフで竹とんぼを作る。竹ひごも竹から作って、竹とんぼの棒の部分にする。完成した竹とんぼがビューッと飛んでいくととても達成感があって嬉しい。竹とんぼじゃなくてペーパーナイフも竹で作ったり、いろいろなことをやった。
あるとき先生か誰かが沖縄のサトウキビを持ってきてみんなで食べた。スポンジのような繊維を噛みしめると甘さがじわーっと出てきてとても美味しい。
ゴミ袋と細い針金とアルミホイルで熱気球を作って飛ばしたこともある。あれはただの授業だったんだろうか。当時は真っ黒い中身が見えないゴミ袋。それにアルミホイルで作ったカゴの部分を針金でつなぎ、カゴに固形燃料を入れて火をつけると、ゴミ袋の中の空気が加熱されて熱気球が空に浮かび上がる。
あと覚えているのは土星だ。
これは記憶が曖昧だけど、中学の科学部?だったのかもしれない。
学校の屋上に夜中集まって、天体望遠鏡で星を見た。
はじめてみた土星は想像したままの姿で、といってもぼやーっとした、祭りの型抜きのようなシルエット程度だったけど、輪っかが見えた。
本当に輪っかがある!と感動。
もう一回見たいけど、ちょうど1年くらい前に「消失」といって、輪っかの位置が真横になり見えない状態。今は少しずつ傾いてきているけど、1年後くらいならまたはっきり見えるらしい。
とまあこんな感じで、おおいちょうの小学校生活を送った。
たしか6年生くらいのとき、学校でいじめがあって、昼のワイドショーで取り上げられた。
しかも先生による先生へのいじめ。
下の妹の担任だったかなにか関係のある先生がいじめられていて、母がそれを聞いて熱心に動き、マスコミにまで行くことになった。
学校では特別授業でその番組の録画が流れ、でもなんだかよくわからない曖昧な感じ。加害者側をかばうような。
番組ではいじめている現場の音声録音も流れていて「痛てえか!痛てえか!」という加害者の声がはっきり記憶されている。その声は、僕の担任の熱血教師だった。
ここに書いたのは、どこにでもいるひとりの人間の子ども時代のごく一部の記憶。
あの大きないちょうは、校庭の隅で、すべてを見守ってきたのだろう。
数万人の子どもたちが通り過ぎ、それぞれの子ども時代を持ち帰る。
誰かにとっては大きく広がる黄金色の輝きであり、誰かにとっては黄金のじゅうたんが枯れ果てた後の風景だったのかもしれない。
あのいちょうはどんな人間模様を見せられても、ただそこにあるだけ。
雄木だったからか、臭くはなかった。
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