ラーメン屋でバイト始め ーラーメン屋体験 1/4ー

高校2年生になったばかりの春、僕はアルバイトを探していた。
仕事をすぐに辞めてしまうという特性はすでに発揮されていて、中学を卒業から日雇いの本の仕分け、ファミレスの厨房、新聞配達などを経験していたけど、長続きはしなかった。
2年生のクラスに少し慣れたとある木曜日の放課後、高校1年生のときに同じクラスで仲良くなった料理人君と2人で「いいバイトねーかなー」とぼやきながら、自転車でフラフラさまよっていた。料理人君は中学の学区も隣で家もそれほど遠くない。その日フラフラしていたのもその学区内だ。
とあるラーメン屋の前を通りかかると、キュッと停まった料理人君が「募集してる」と顎をしゃくる。みると、ラーメン屋のガラスドアに「アルバイト募集」の手書きの張り紙がある。
「いってみる?」と気軽に聞く料理人君に「近いしいいね」ということで、そのまま自転車を停めてお店に入る。
「いらっしゃいませー」
茶髪パーマでソフトリーゼントっぽい髪型のキツネ目でスラっとしたお兄さんが迎えてくれた。お客さんは誰もいないようだ。
「バイト募集みたんですけど」
料理人君がドアを指さしながら言う。僕は黙って後ろに付いていく。
「高校生?ふたりとも?」
お兄さんはセブンスターのソフトケースをトントンと指で叩き、出てきたタバコを一本くわえ、チャッカマンで火を付けた。
タバコを深く吸って吐き出し、くゆらせた煙が目にしみたのか、細い目を少しシバシバさせながら言った。
「明日からこれる?」
僕たちは顔を見合わせ頷く。
「じゃあ明日今くらいの時間に。一応履歴書持ってきて」
と、あっという間にバイトが決まった。
僕はラーメンにはほとんど興味がない。高1のときファミレスの厨房で少しだけバイトをしたけれど、料理にもそれほど興味がない。ただのお金を得るためのバイトとして始めることにした。
料理人君は、子どもの頃から料理人になると決めていたようだ。お金も稼げて少しは料理もできるということで、悪くないバイト選びだったみたい。彼はこの後、イキがった高校生のときも、成人してからも、ずっとタバコを吸わなかった。周りはみんな吸っていたのに。料理人になるのにタバコは害悪って決めていたんだろう。
帰りにコンビニで履歴書を買い記入。仕事を転々とした後はあんなに面倒くさかった履歴書も、この頃は書くことが少なくて楽だった。

お店は一戸建ての路面店で、お店の前にはそこそこ広い歩道がある。
片側1車線の車道に面していて、お店の反対側が砂利の駐車場になっていた。
目の前が駐車場なので、お客さんが来ると来店前にわかる。住宅街ではあるけど、大多数のお客さんは車で来る。徒歩で来るお客さんは本当にご近所の常連さんくらいだ。
1階がお店で、お店の横に小さな入口ドアと階段があり、2階が事務所になっていた。
お店の中は半分以上厨房で、客席側には4人掛けテーブル席が2卓、2人掛けテーブル席が2卓、カウンター席が14席と、それほど大きなお店ではなかった。

初出勤の日、お店に入ると背が低めで少しがっしりとしたベリーショートのおばさんがいた。ベリーショートというかもう坊主頭。
「あらあんたたちが今日からのバイトね。上で着替えてきて。」と言われ、昨日のお兄さんに連れられて2階にあがる。
お兄さんは、僕の3歳年上で20歳になったばかりの雇われ店長だった。
で、あの坊主頭のおばさんはオーナーの奥さんらしい。
2階は薄暗い事務所になっていて、ソファと昔ながらのグレーの事務机と、麻雀卓が置いてあった。あとは段ボールとか雑多な荷物。そこで店長から渡された制服に着替える。
制服と言っても、濃紺のスラックスとTシャツ。Tシャツの背中には白い文字で大きくお店の名前が入ってた。そこに、紙製の変な帽子。長い長方形の紙を丸くなるように短い両端をくっつけて、できた丸い部分に紙のメッシュを付けたような、使い捨ての帽子。髪の毛を全部中に入れるわけでもなく、何か意味があるのだろうか。そして腰から下だけのエプロンを付ける。奥さんはなぜか赤いテラテラした素材の、上まであるエプロンだった。あっちじゃなくてよかった。
制服に着替えた僕たちは、いよいよラーメン屋として働きはじめた。けれどそのお話はまたの機会に譲って、もう少しこのラーメン屋のことを話そう。

店長は雇われ。おばさんはオーナーの奥さん。で、肝心のオーナーさんとは後日会うことになった。というかお店に来た。
オーナーはまったく別の職種で、本業は電気工事士。お店脇の2階へのドアに書いてあった会社名がオーナーの電気工事の有限会社名。そちらでも何人か従業員を雇って、それなりに上手くいっているらしい。2階の事務所はそちらの会社の事務所と兼用で、麻雀卓はオーナーや従業員さんが遊ぶ用だとか。
長年の夢だったラーメン屋になるため、何年か前に地元ではそこそこ有名なラーメンチェーンで半年くらい修行をしてからオープンしたのがこのお店らしい。意外と堅実なようで、オープン後も本業は続け、おそらくラーメン屋が大成功して軌道に乗ったら軸足を移す予定だったのだろう。
オーナーには中学生の娘さんと、小学生の息子さんがいて、この息子さんはなんと僕の弟と同級生だったということが後に判明する。もっともうちの家族とは違って少年野球をするようなアクティブ派。オーナーはいわゆる少年野球のパパをしていて、練習がある人には皆さんでお店に来たりもしていた。
お店は朝11時から夜8時30分まで。仕込みがあるので出勤は10時から。夜は店を閉めて片付けとお掃除が終われば終業。15時から17時はお客さんも来ないので店を閉めて休憩時間だった。
この頃お店の従業員は、社員は店長とオーナー奥さんの2人。土日は忙しいのでオーナーもお店に出ることがある。高校生のバイトが1人。あとはパートさんが2人いて、平日の午前中は戦力になるけど夜は出れないし、どう考えても人手が足りない、ということでバイトを募集していたらしい。

店長の話は別のエッセイで書いたのでここでは割愛。
オーナーの奥さんはそのまま「奥さん」と呼ばれていて、ほぼ坊主頭という外見からわかるとおりの性格。むしろオーナーよりオーナーらしいというか、ラーメン屋らしい、おじさんのようなはっきりした人。ズバズバはっきり言うので、苦手とする人もいた。僕は気にならなかったけど。奥さんはオーナーの夢に付き合ったというより、むしろ一番ラーメン屋を楽しんでいるのはこの人では?と思うほど、ほぼ常に店に出ていて、中華鍋の振りすぎで腱鞘炎になったりもしていた。店を閉めて片付けが終わった後、ビールサーバーから一杯飲むのをなによりも楽しみにしていて、この一杯のために夜ご飯は食べないとか。「あんたお酒飲めないなんて人生の半分損してる」と高校生だった僕に豪語していた。
高校生の先輩バイトは学年も1個上で、僕たちとは別の県立高校に通っていた。ちょっとスカしているけど基本的にはいい人で、卒業後には自衛隊に入隊した。バイトに入るのはそれほど多くはなく、週1〜2回くらいだった。後にスナック嬢にはまる。
パートさんは佐渡島出身の佐渡さんと、顔が自分にそっくりなシーズーを飼っている清水さん。どちらも当時30代だったと思う、たぶん。お子さんはどちらも中学生と小学生だったし。
佐渡さんは小柄で、責任感がとても強くとても頼れる人。人がいない!となると日曜でも祝日でもなんなら夜でも出てくれる。僕がここを辞めてバイク屋になってさらに辞めてフリーターになった後も、バイトを紹介してくれたり、とてもお世話になった。その頃には息子さんも大きくなっていて、大きめのバイクに乗っていた。僕は彼が中学生の頃に会った記憶がなかったけど、なぜか息子さんは僕を知っていて、バイクの話とかをフレンドリーにしてきたりした。
清水さんは正反対で大きくて、横にも。性格もおばちゃんって感じの人。一度ご自宅にお邪魔したら、本当に顔がそっくりなシーズー犬が出迎えてくれた。この人にもお世話になり、僕がラーメン屋を辞める時には「ババァより」というお手紙までいただいた。今思えばまだあのときアラフォーだったよね…。
オーナーはたまにしか店に出ない。たまに来るといろいろと引っかき回すので、あまり来ないで欲しかった。でも料理が好きなのか、普段とは違うまかないを作ってくれる。明るく社交的で交流関係も広く、オーナーの知り合いがいろいろお客さんとしてきていた。野球好きで少年野球パパでゴルフが好きで麻雀が好きで競輪が好きで、という典型的な平成初期のおじさん。今思えばあのときアラフォー…。今の僕より若い。店長はよく休みの日なのにゴルフや競輪に連れ回されていた。
そこに僕と料理人君という高校2年生のバイトが参加して、しばらくこのメンバーでラーメン屋をやっていくことになった。

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