ラーメン屋を卒業 ーラーメン屋体験 4/4ー
この頃になると、一緒にバイトを始めた料理人君は辞めていた。
僕が店長と馬が合ったからか、コミュ障のくせになぜかこの店では上手くやれていた。料理人君も普通にやっていたけど、なにか思うところがあったのだろう。理由も何も聞いていないけど、辞めて他のバイトを始めた。適当な料理が嫌だったのかな、とか、常に僕より上に立ちたがるマウント気質がこのバイト先では上手くいかなくて面白くなかったのかな、とかゲスな邪推をしてしまった。
後輩バイトのことはほとんど覚えていない。名前はもちろん高校生だったのかすら覚えていない。人のことを覚えないのはずっと変わらない。おじさん社員ふたりの名前もまったく覚えていない。
店長は、すごい年上で癖のある社員とか、やんちゃな若者バイトとか、業績も思わしくないお店の運営からオーナーの相手、オーナーの奥さんはしょっちゅう店にいるし、今思えばかなりストレスフルな職場だっただろう。
ラーメン屋のエッセイと言えば、お客さんの話は欠かせない。はずなのに、お客さんのことはまったくと言っていいほど覚えていない。特に変なお客さんもいなかったということで、恵まれていたのだろう。覚えているのは店長の友だちとか、オーナーの知り合いばかり。
オーナーの知り合いのブラジル人にポルトガル語を教えてもらった。と言っても「ボンディスカッソ」しか覚えていない。しかも意味は覚えていない。この20年後に職場にいたリオのカーニバルマニアの方にこの言葉を言ったら、まったく通じなかった。ポルトガル語って聞いていたのに…。今調べたらたぶん「Bom descanso!」お休みとかお疲れ様って意味らしい。発音悪すぎてリオさんにはわからなかったのだろう。
あとはオーナーの少年野球仲間とか、オーナー本業の電気工事の仕事の人、少年野球関連の知り合いらしいプロパンガスのお仕事の人たち、くらいか。
あとは、匿名の投書があった時もある。「従業員の喫煙について」という丁寧なお手紙。いつも美味しくいただいています、という丁寧な始まりで、でも厨房で従業員がタバコを吸っているのは…という至極当然なご指摘。お店は全体が喫煙可だったし、なんならタバコを吸いながら仕事をしていた。まだそういう時代だった、というのもあるけど、確かに嫌だよね。でもそのときは改善も何もしなかった。
当時はレビューサイトみたいなものもなく、商売がある意味自由な時代だった。嫌なら行かない。まわりにあそこはダメって口コミする。その程度だから。
僕がお店を辞めて数年経った後、家の近くを歩いていると、前方からニッカボッカを履いたお兄さんが歩いてきた。眼が合うと「おー!」という顔をして話しかけてきた。中学のときのヤンキー君、万引き事件のとき逃げたうちのひとりだった。「久しぶりじゃん!」と話しかけてくるも、内心「そんな仲でしたっけ??」と困惑。まともに話したことすらないような…
で、なぜか後日飯でもとなってあれよあれよとなぜかその元ヤンキー君のおうちにいる自分。しかも知らないお兄さんもひとりいる。その人たちが普通に雑談していると「お勤め」だかなんだかで「なんみょー」と始まった。僕は「いやー…」と断った。創価学会の勧誘だったらしい。別にしつこい勧誘ではなく、自分は始めてから救われたとか、人脈広がって仕事も上手くいってるとか、そんな話。で、その雑談の中で、「あそこのラーメン屋はまずかった」とその2人。どう聞いても僕が働いていた店のことだ。僕はそれ以来その人たちと連絡を取らなかったけど、創価学会への勧誘が嫌だったのではなく、自分がやっていたラーメン屋を貶されたから、という理由だったということには、彼らは気づきもしなかっただろう。
僕はラーメンの味の違いなんてわからないし、こだわりもないし、食べ歩きもしないけれど、あのお店はそれなりに好きだったようだ。
そんな僕のラーメン屋バイト生活も、高校卒業と共に終わり、はしなかった。
高校在学中に就活をするにしても、僕はバイク屋になると決めていた。当時「3無い運動」で高校生のバイクを締め出していた埼玉県の県立高校に、バイク屋の求人はなかったし、そもそもバイク屋というのは小規模なところが多く、高校の新卒を募集するところなんてまずない。
一応「就活」をしたという実績のため、1箇所だけ高校経由で面接に行ったことがある。そこそこ大きな規模の自動車整備工場で、バイクはもちろんやっていない。自動車に興味があまりなかった僕はモチベーションも上がらず、どんな会社なのか求人票みたいなものの他は下調べもせずに面接に向かった。バイクで。学ランでバイクに乗り整備工場の前の歩道に停めて、そのまま会社へ。一応面接をしてもらい、工場を見させてもらうと、バスやトラックなどの大きな車ばかり。タイヤを1個外すにも大変そうで、バイク整備しかしたことがない自分からみると、整備というよりも工場でなにか大きな機械を触っているような、ちょっと遠いというか、自分の手におさまる気がしなかった。結局僕から断ったのか、断られたのか、それすら覚えていない。
そして就職しないまま高校を卒業。そのままラーメン屋バイトを続け、自分でバイク屋を探した。
半径20kmくらいの通えそうな距離でハーレーを扱っているカスタムショップに行ってみたり。小規模すぎるのとおじさん怖すぎて働きたいとも言えなかったけど。そして夏ごろ自分で見つけたそこそこの規模のバイク屋さんにアタックして雇ってもらうことになり、たしか9月いっぱいでバイトを辞めた。
こうして僕の第1次ラーメン屋生活は終わりを迎えた。
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