犬とお散歩
お散歩というのは、とてもいい。
ただ歩くだけ。
東京から田舎に引っ越してからはお散歩の頻度も下がったけれど、家から出てしまえばほぼ人とすれ違わないのは田舎のメリットだ。
思えば僕は、小学生の頃から毎日お散歩をしていた。
犬がいたから。
彼らはお散歩を心待ちにしている。
朝と夜、1日2回もお散歩をする。
晴れの日も、風の日も、雪の日も、雨の日は状況次第。
朝はまだ薄暗いうちに出発して、帰る頃に明るくなるのがいい。
お散歩ルートはだいたい決まっているけれど、たまには知らない道を歩く。
愛犬たちをダシにして、お散歩を楽しむ。
面倒くさい日もあるけれど。
行けない日には、妹たちが代わりに行ってくれた。
たまに、彼らに水先案内人を任せて、人間はただついていく。
彼らは気の赴くまま、好きな方へと進む。
先のことや、帰りのこととかは、まったく考えない。
ただ、今、気になる方へ歩く。
そして、家からはるか遠いところで、唐突に体力が尽きて座り込む。
アスファルトにペタリと伏せをして見上げてくる生き物を抱え上げ、痛くなる腕をだましながら、どんどん重くなる体重を感じながら、遠い道を散歩して帰る。
まだスマホなんて無い時代、知らない道を歩き、頭の中の地図が少し増える。
お散歩好きは、犬のせいだ。
高校生の頃も、白い愛犬と毎日お散歩をしていた。毛が長くて、足が短くて、先代に少し似ているテリア犬。
毎朝学校に行く前にお散歩。夜もお散歩。バイトや遊びで家に帰るのが遅くなっても、真夜中に一緒に歩いた。
ある日の深夜0時過ぎ、いつものように闇の中を2人で歩く。この相棒は真っ白だから真夜中でもよく見える。翌日朝のお散歩で、お散歩ルートの横にあるお家にパトカーが停まっていた。横目で見ながら通り過ぎようとすると、スーツのおじさんに話しかけられる。
「いつもここ歩いているの?」
「そうすね」
「昨日の夜は?」
「0時過ぎに」
「物音とか何か気づいたことなかった?」
と事情聴取?
僕の白い相棒は人見知りなので早く行こうと催促してくる。
住所を教えて帰宅し学ランに着替えると、玄関チャイムが鳴った。
出るとさっきの刑事さんがもうひとり連れてきて、もっと詳しく話を聞かれた。
どうやら、パトカーが停まっていた家で殺人事件があったらしい。僕たちがちょうどその家の横をお散歩していたぐらいの時間に。
でも知ってることはなにもない。ただいつも通りお散歩しただけ。もっと観察力や注意力のある人ならなにか気づいたのかもしれないけれど、僕はただ白い相棒といつも通り歩いていただけで、なにも気づかなかった。
後日聞いた話では、中年の息子が父親を殺めた事件だったとか。
別の日、お姉ちゃんと姪っ子が珍しく遊びに来ていた。そのとき姪っ子は4歳くらい。夕方に、僕は白い相棒と姪っ子と3人でお散歩に出かけた。姪っ子が愛犬のリードを持ち、僕は姪っ子と手をつなぎ、駅から下っていく細い裏道を歩いていると、後ろから声が聞こえてきた。
「先輩?」
振り返ると、高校の後輩が制服で歩いていた。彼女らしき制服の女子と一緒に。なんだか、見てはいけないものを見てしまった顔で、僕と姪っ子を交互に見る。
「隠し子…」
なにやらつぶやきながら彼らは去って行った。
朝晩のお散歩だけではなく、お休みの日や時間があるときには少し遠くまで歩いた。
遠くと言っても片道1キロと少し程度。そこに春になると花見客が詰めかける大きな公園があって、ランニングコースや芝生広場、森のようなところもある。その森の中をぶらぶらと歩く。帰りには腕が痛くなる可能性もあるけれど。
実家が引っ越しをしてからは、家のすぐ近くに小さな川が流れていて、川沿いが遊歩道になっていた。そこが定番のお散歩コースとなった。川を渡る飛び石のようなものもあって、白い相棒はたまにジャンプに失敗して川に落ちた。といっても水深10cmくらいの浅いところだから、濡れてブルブルしたしずくが僕にもかかるだけ。
雪の日にもお散歩に行くけれど、相棒は足が短いので、お腹が雪についてしまう。そして毛質の問題か、雪がどんどんくっついて団子のようになってしまう。これが固くてなかなか取れない。取るのは大変だけれど、白い相棒は雪遊びが好きだし雪がとても似合うから、雪が降るのも楽しみだった。
白い相棒は、お散歩だけではなく家の中でも僕の面倒をみていた。僕は寝るとき、白い相棒を布団に連れて行き、一緒に寝ていた。でも、一緒に寝ていると思っていたのは僕だけで、僕が眠りに落ちると彼はのそのそと布団から出てきて、自分の好きなところに行く。母が「寝かしつけてきた?」と優しく声をかけていたのを、夢うつつに聞いたことがあった。
犬とお散歩をしていると、とてもよく話しかけられる。
コミュ力皆無な僕はそれらに対応できない。だけど、むすっとした身体の大きい髭面はこんなとき便利だ。勝手に去って行ってくれる。
相手も犬を連れていて寄ってくるときは、その犬の様子を注視し、ケンカにならないか細心の注意を払う。ダメそうならすぐに撤退。対応しなくていい大義名分も出来あがる。大丈夫そうなら犬同士の触れ合いに任せ、適度なところでぺこりと頭を下げて去って行く。
コミュ強な人たちは初めましての犬同士でも会話が弾み、町角や公園で会合を開いている。あそこに巻き込まれたらと考えるととても恐ろしい。
20年近く続いた僕のお散歩習慣も、白い相棒が旅立つと終わりを迎えた。
僕はひとりでお散歩をするようになった。
たまに実家に帰ると、白い相棒によく似た新しい家族と散歩に行った。すると、知らない方々が犬に話しかけてくる。この子の名前まで知っている。どうやら妹はちゃんと犬コミュニティーでコミュニケーションを取っているようだった。
そのときを除き、僕はひとりでお散歩をした。
1日2回朝晩はしないけど。
気が向いた時に1人でプラプラと歩く。
そんなお散歩も悪くはない。
そして今、なぜか新しい犬たちがいる。
でもこの子たちは1人を除き、お散歩が苦手だ。
犬だからといって、みんなお散歩が好きなわけではない。
庭で走ってるだけで満足な子もいる。
お散歩が好きなこもいる。
人それぞれ、犬それぞれ。
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