エッセイコンテストと靴下
なんとなく1月23日にエッセイを書き始めて、100日連続で投稿して5月2日を最後に書くのをやめた。
そして5月末締め切りのエッセイコンテストに応募しようと思い立ち、長編エッセイを一本書いた。
エッセイというか、私小説というか、その半々くらいの。
半分くらいは既存の100話の中からもらってちょっと手直し。
もう半分くらいは新たに書いて。
最初はただの短編エッセイ集で、「コミュ障」をテーマにコミュ障あるあるとかクスッと笑えるエッセイ集にする、はずだった。
でも手直しを続けていくうちに、テーマが見えなくなって、気がつけば「ただ人生流されてきたおじさんの半生記」になっていた。
こんな長文を書くのは卒論以来。
文章を書くのは大変だけど楽しい。
句読点の場所ひとつで意味がかわり、ニュアンスが変わる。
言葉の選び方ひとつで、固くもなれば柔らかくもなる。
文字はただの記号なのに、文章になると尖っていたり、ほわほわしていたり、冷たかったり、質感や温度や感情までもがかたちづくられる。
コンテスト投稿エッセイを書いているときは、できるだけ賞をもらえるような、評価されるようなものを書こうという気持ちもそこそこあった。
できるなら最優秀賞。
1,000通弱の応募数の中から1番に選ばれて、書籍として全国出版もされるという、身の丈に合わない欲望だ。
エッセイ歴4ヶ月弱、100話しか書いたことがないくせに。
執筆期間が3週間しかないし、今年は無理だな、と言い訳をしながらも、どこかでは狙って書いていたと思う。
そして投稿からしばらくたち、コンテストに投稿したことも、エッセイを毎日書いていたことすらも心の中から薄れ、穏やかな日々。
賞をもらいたいという気持ちは、嘘のように消え失せた。
夜の闇が大空の彼方に消えていくように。
台風が過ぎ去った真夏の青空のように。
家に帰ってすぐに脱ぎ捨てた靴下のように。
履いていたときには不快感もなく当たり前、むしろ頼もしい味方だったのに、家に帰ったとたんになんだかわずらわしくなり、脱いだあとは履いていたことさえ忘れ、部屋の隅に放り投げられた靴下。
エッセイコンテストは靴下だった。
僕のエッセイ書きたい欲、賞が欲しい欲、評価されたい欲は、きれいさっぱり消えていた。
いつかまた、ベッドの下から発見されるだろうか。
追記:このエッセイを書いた10時間後に落選通知が届いた
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欲望はどこから現れてもいいけども